2026年7月12日放送のTBSラジオ系のラジオ番組『爆笑問題の日曜サンデー』(毎週日 13:00-17:00)にて、お笑いコンビ・爆笑問題の太田光が、美輪明宏が「言葉に詰まった」瞬間が共演していて印象的だったと告白していた。
太田光:なんか言われた言葉で、印象に残っているようなことはありますか?
中島歩:印象…「ゴーイングマイウェイ」って言われて。「我が道を行くのよ」って。なんか凄いありふれた言葉ですけど。
太田光:うん。
中島歩:この美輪さんがおっしゃる、説得力みたいな(笑)
田中裕二:説得力はね(笑)ゴーイングマイウェイだもんね。「アンタには敵わないけど」って。
太田光:そうだね、あれぐらい「ゴーイングマイウェイ」をやってきた人はいないもんね。
田中裕二:うん。でもなんか凄く分かるね(笑)ゴーイングマイウェイっぽい(笑)
中島歩:あ、してますか(笑)いや、でも本当に最期、亡くなる時、直筆のメッセージが。
太田光:「愛があれば」ってね。
中島歩:そう、「愛が最大の武器だ」っていう。で、最後の最後までこういう、メッセージを届けるっていうことに、凄いまた感動しちゃって。やっぱその意志があったパフォーマンスなんだなぁっていう、テレビ出るにしても、お芝居でも歌でも、そういう意志を持ってやってる人の力なんだなと思って。なんかそういうことは、引き継いで表現していかなきゃいけないんだろうなぁって思いました。
太田光:よく俺、美輪さんと会うと必ず三島さんの話とか、乱歩さんの話とか聞いたけど。
中島歩:はい。
太田光:国木田独歩は会ってないのかな?美輪さん。
中島歩:会ってないですね、確か、さすがに。で、なんか、デビューというか、オーディション受かって2回公演やったんですけど、最初の時はご存じなくて、僕がそういう経歴(国木田独歩の玄孫)。次の年に、なんかなんとなくそういうのが知られて、美輪さんも知ったらしくて、「あなた、国木田独歩の玄孫なの?」みたいな。
田中裕二:うん。
中島歩:その前の年は、「あなた何もないのね」って言われたんですけど(笑)
太田光:はっはっはっ(笑)
中島歩:そっから、なんかちょっと見る目変わって(笑)
田中裕二:あ、そうなんだ。
中島歩:ということはありましたね。
太田光:ああ、そうか。またちょっとね、いた場所がそれぞれ違うだろうからね、独歩と三島さんとかはね。
田中裕二:うん。
太田光:俺もでも、美輪さん亡くなった時にやっぱり思い出したのは、その三島さんと最後の1週間前かな、市ヶ谷の駐屯地で、割腹する1週間前に現れて、「今までありがとう。もう会わない」みたいなことを三島さんから言われて、バラを100本もらったっていう話が、凄く印象的だったけど。
田中裕二:うん。
太田光:あの時、確かここにも来てくれたよね、美輪さん。それで、美輪さんはとにかく「愛があれば、宗教も何もかも隔たりもなく、一緒になればいいのよ。それが戦争がなくなることなんだ」って言った時に、「でも、三島さんって晩年ね、そういう、そっちの方向じゃなかったですよね」って俺、ちょっと言った時に、ちょっと言葉に詰まったのが凄く俺はね。
中島歩:ああ、はい。
太田光:「その話をし出したら、10年あっても足りないわ」って言ったんだよね。
中島歩:ああ。
田中裕二:あれは一体、どういう意味だったんだろうって、今となってはわからないけども。美輪さんの言う、愛っていうのは、我々の考える愛とはもっと次元の違う愛なのかな、とか思ったり。
田中裕二:うん。
太田光:色々そういう、影響を受けるところはあったでしょうからね。
中島歩:なんかその、三島さんの話から、「コンプレックスがない人はいない」みたいな話をしてくれて。それこそ僕、本当に何もないなと思って、そういうなんかこう、逆境みたいなのとかが。
太田光:なさそうだな、イケメンでな。
中島歩:なさそうでしょ?(笑)のうのうと育って(笑)
太田光:イヤイヤ日藝も入ってさ(笑)
中島歩:そういうことを美輪さんにお話ししたことがあって、「いや、みんなコンプレックスあるんだ。あなたが何もないと思ってること自体が、あなたはコンプレックスでしょ?」っていう。
田中裕二:ああ。
中島歩:三島さんとかもそういうコンプレックスだらけで。体が細いから凄い服の中に入れてたとか、なんかそういう話から、そういう話してくれた記憶がありますね。



