東野幸治、明石家さんまや島田紳助のトークを「こんなんテレビで出来んねや、楽しいな」と思いつつ憧れて吉本興業入りを希望したと告白

スポンサーリンク
スポンサーリンク

2020年6月29日配信開始となったYouTube動画『東野幸治の幻ラジオ』第44回にて、お笑い芸人・東野幸治が、明石家さんまや島田紳助のトークを「こんなんテレビで出来んねや、楽しいな」と思いつつ憧れて吉本興業入りを希望したと告白していた。

東野幸治:僕、52歳なんです。17歳の時に、南海ホールっていう劇場で、新しいお笑いタレント、漫才ブームが終わった後の新しいお笑いタレントを見つけるために、漫才ブームの東京で、当時マネージャーをしていた大崎さんが、大阪に戻ってNSC1期生の子守をして。

なおかつダウンタウンさんという才能を発掘したから、他のメンバーも必要やということで、『お笑い探検隊』というラジオ大阪の30本のレギュラー番組持ってて。

南海ホールっていう、後の2丁目劇場になるところで、漫才禁止でパフォーマンスする人を募集するっていうのをやってたんですよ。で、MCがダウンタウンさんで、そこ僕行って。高校3年の時に。

で、終わってから大崎さんの下の人ですね、Nさんっていう方に、「もしもよかったら、高校卒業して吉本来たら?」みたいなこと言われて。「ライブやったらエエねん」って言われて。「あ、そうですか」って。

高校卒業してやることないからって言って、さんまさん、紳助さんがテレビでなんか楽しく「こんなことあってな、あんなことあってな」っていう、プライベートトークをゲラゲラ笑って、「こんなんテレビで出来んねや、楽しいな」と思って。

本当、まさかこんな東京に来てると思ってなくて。「楽しいやろうなぁ」という感じで、当時、南海ホールの上、6階かな。吉本の本社あったんですよ。

小さい会社でしたよ、その時は。仁鶴さんや、三枝さんや、やすし・きよしさんや、さんまさんや。ポピンズっていうアイドルの写真も、どんどん、どんどんって、目玉のタレントさん、芸人さんの写真飾ってて。

そこに、大崎さんを頼って行って。

タイトルとURLをコピーしました