2023年3月7日放送のTBSラジオ系のラジオ番組『爆笑問題カーボーイ』(毎週火 25:00-27:00)にて、お笑いコンビ・爆笑問題の太田光が、佐久間宣行プロデューサーがテレ東初の子供番組『ピラメキーノ』を大ヒットさせることができた秘話に驚いたと語っていた。
太田光:佐久間ってやっぱ凄いのはさ、テレ東でさ、若手で入って。元々はね、あれ早稲田の映画研究会かなんかで。
田中裕二:ああ、そうなんだ。
太田光:西川美和さんと同期なんだって。
田中裕二:へぇ。
太田光:で、凄いクリエイターがそこにいたから、「あ、俺もうクリエイティブ駄目だ、この才能に敵わねぇや」と思って、営業やろうとして。
田中裕二:うん。
太田光:で、フジテレビの入社試験かなんか営業で受けたら、「君、制作に向い てるよ」って言われて、それでもう一回、制作で今度テレ東を受けて入ってから、若い時から企画書、尖った企画書いっぱい出して、「自分はお笑いをやりたい」って。
田中裕二:うん。
太田光:で、その時アイツ、33ぐらいで子供生まれてんだよ。割と早い。
田中裕二:うん。
太田光:で、その当時、同期の自分の年齢で、子供いるの自分だけだった。
田中裕二:うん。
太田光:だから、とにかく朝お弁当作ったりとか、色々。要するに今、お前がやってるような。それをとにかく働き盛りの時にやってて。だけど、その娘が、だから33ぐらいの時に娘が3歳で。
田中裕二:うん。
太田光:幼稚園の送り迎えとか、凄い忙しい時期にそれやってたんだけど、それのおかげで、『ピラメキーノ』っていうね。
田中裕二:『ピラメキーノ』ね。
太田光:あ、知ってる?
田中裕二:金田たちが出てたやつだよね。当時若手の、はんにゃの。
太田光:ああ、そうなんだ。あれって子供番組だよね。
田中裕二:夕方かな。
太田光:夕方。その時に、実は夕方のあの枠っていうのは、『夕焼けにゃんにゃん』があって、そういうイメージがずーっとあって。
田中裕二:うん、うん。
太田光:要するに、若者向けの番組しか作らないっていう方向だったらしいんだよ。
田中裕二:うん。
太田光:だけど、実際に佐久間が感じてたのは、その時代にはもう若者はその時間、家にいなくてテレビ見てないと。
田中裕二:うん。
太田光:塾行ったり、友達と遊んだりゲームしたり。で、実は見てたのは小学生と親だった。
田中裕二:うん。
太田光:だから、あれ『ピラメキーノ』って、テレ東初の子供番組なんだって。
田中裕二:初なんだ。
太田光:初だった。それをアイツが企画出して、最初は「そんなの」って言われたんだけど、改編期でね、やっぱ時代先取りするから、アイツはさ。
田中裕二:うん。
太田光:「改編を乗り越えるにはどうすればいいか。イベントやって人集めたら、きっと会社も認めてくれるんじゃないか」って、よみうりランドに改編期のギリギリの時に、番組のイベントやったんだって。
田中裕二:うん。
太田光:読売ランドに7000人集まれば、これは上も認めてくれるだろうと思ってやったんだって。そしたら、その日当日土砂降りで。
田中裕二:あら。
太田光:「ああ、もうこの番組は終わる」と思ったら、「大変です。駅から人が続々来てます」って、親子連れのカッパ来た人たちがワーッと来て、イベント大成功になって、最後虹が出た。
田中裕二:うん。
太田光:で、継続が決まったっていうんだってよ。
田中裕二:凄いいい話じゃない。
太田光:いい話なんだよ。だから、やっぱさすが違うなと思って、佐久間って男はね。これからどんどん多分、凄くなっていくと思うんだけど。勉強なるなぁと思って、その『ずるい仕事中』。
田中裕二:うん。