2019年7月16日放送のTBSラジオ系のラジオ番組『爆笑問題カーボーイ』(毎週火 25:00-27:00)にて、お笑いコンビ・爆笑問題の太田光が、生涯を通じてジャニー喜多川が「ショー・マスト・ゴー・オン」を訴え続けたのは、「空襲で逃げ惑った経験」があったからではと語っていた。
太田光:ジャニーさんはアメリカのロスかなんかに生まれて、すぐに日本に来るんだけど。で、大阪に来るんだけど、中学生ぐらいで戦争が起きて、和歌山に疎開してたんだってね。
田中裕二:うん。
太田光:そしたら、和歌山も凄い空襲があったんだよね。
田中裕二:うん。
太田光:それに、本当命からがら、どこに行っていいか分からないぐらいの感じで逃げて。
田中裕二:うん。
太田光:川の橋の下に隠れたんだよね。同じ、和歌山で空襲に遭った人にインタビューをしてたんだけど。
田中裕二:うん。
太田光:もう地獄絵図だったって。川に人が浮かんでる。大勢、生きてるか死んでるか分からないんだって。
田中裕二:うん。
太田光:だけど、あんなに人が倒れてる光景を見たのは、後にも先にもない、と。子供の頃だけどね、おじいさんがインタビュー受けてるんだよ。
田中裕二:うん。
太田光:で、ジャニーさんっていうのは、そういう意味で言うと、「あの時、僕らと同じように経験して、そこからあんな立派な人になったんですね」っていうのをおじいさんが言ってたけど。
田中裕二:うん。
太田光:それは凄いことです、と。「あれを経験して、それでも立派に生きて、大成功を収めてって凄いです」って言ってたけど。
田中裕二:うん。
太田光:その後、朝鮮戦争が起きて、今度はアメリカ側の軍部の仕事で戦地に行って、子供たちに色んな教育かなんかしてるんだよ。だから、韓国語もペラペラなんだって。
田中裕二:うん。
太田光:そう考えるとさ、改めて凄い人だなって思うよね。
田中裕二:アメリカの文化、我々は子供の頃に知らずしらずに、馴染んでいくわけじゃないですか。そういうのを本当に持ってきた人なんだよね。
太田光:持ってきたし、なおかつキンプリの…『日曜サンデー』でも話したけど、キンプリの帝国劇場で言われた時に、俺らは初めてジャニーさんに会ったけど、お芝居っていうか、ミュージカルだよね。本当にエンターテイメントだよね。
田中裕二:あらゆるものが。
太田光:ラスベガスとかブロードウェイとか、色んなところから要素を入れて、なおかつジャニーズ独自のアイデアで宙吊りから何からね、凄かったんだよね。
田中裕二:ビックリしたもん。
太田光:こんな面白いっていうか。キンプリだけじゃなくて…7 MEN 侍とか。色んな子供たちが出てくるんだよ。
田中裕二:うん。
太田光:で、アメリカの子供まで映像で出てくるんだよな。謎のアメリカ人の子供が。「そのうち、会えるからね」って。このアメリカ人は何なんだ、みたいな(笑)
田中裕二:ええ(笑)
太田光:そのうち来るのかな?ペリーみたいに(笑)
田中裕二:黒船に乗って来るんじゃない(笑)
太田光:そこにキンプリの子たちがそこへ行くんだよね。世界中に行く。
田中裕二:そう。
太田光:その間に映像がヒンデンブルク号が爆発したり、タイタニックが沈んだり、アポロ13がとか。文明が進化したけど、結局、人間は失敗して。それでもまたっていう。災害とかも挟まって。
田中裕二:うん。
太田光:アメリカにキンプリの子たちが行くと、ウエストサイドストーリーみたいな世界になってて、不良同士が戦ってんだけど。
田中裕二:うん。
太田光:そういうのじゃなくて、やっぱり歌と踊りで仲良くしようよ、みたいな。俺が簡単に説明すると、そういう話になるんだよね。
田中裕二:うん。
太田光:そういうことで、ジャニーさんが座右の銘だった、「ショー・マスト・ゴー・オン」っていうね。舞台から降りるな、芝居を止めるな。
田中裕二:うん。
太田光:エンターテイメントを止めるなって。それは日本人として空襲を体験して、なおかつアメリカ側としても戦争を体験したあの人が、走り続けなきゃ、空襲の焼夷弾でやられるって状態だったっていうね。そのおじいさん言ってたけど。
田中裕二:うん。
太田光:とにかく、目的もなにも、どこに行けばいいかも分からない。とにかく走り続けなきゃいけなかったんだっていう、それが「ショー・マスト・ゴー・オン」ってところと重なって。
田中裕二:ああ。
太田光:エンターテイメントをし続けることが平和を保つことなんだっていう、ジャニーさんが生涯を通じて訴えたかったことなんじゃないかって。
田中裕二:うん。
太田光:それは、普通の人が「歌って踊れば平和だ」って言ったらさ、「何を青臭いことを」って言うけど、そんな経験をした人が言う舞台だったんだって、改めて思ってさ。