2025年1月29日放送のTBSラジオ系のラジオ番組『山里亮太の不毛な議論』(毎週水 25:00-27:00)にて、お笑いコンビ・南海キャンディーズの山里亮太が、『笑っていいとも』レギュラー当時の思い出について語っていた。
山里亮太:南海キャンディーズで、懐かしい場所に行ってきまして。それはね、新宿はスタジオアルタ。もう今は若い人だと分かんないのかなぁ。スタジオアルタと言えばね、本当に聖地ですよね。『笑っていいとも』をやってたんですよ。
新宿東口を出て、本当目の前。「新宿と言えば」っていう、象徴。このアルタに行ってきまして。それはなぜかと言うと、新宿アルタが2月いっぱいで終わるんですね。閉館してしまうんですよ。
その新宿アルタの7階と8階にスタジオがあって。本当、キュッとこじんまりとしたところなんだけど、そこで月から金まで『笑っていいとも』やってたんですよ、みんな。
そこはね、閉館になるってことで、スタジオアルタさんの素敵な試みとして、『いいとも』レギュラーだった人に声をかけてくださって。もちろんタモリさんもね、みんなが今のアルタで写真撮ってくれるの。
写真撮ってくれて、一言添えてポスター作ってくれて。あと、動画も撮ってるんだけど、それもアルタで最後の日まで流してくれるっていうやつで、呼んでいただけたんだよ。ウチらね、2005~6年、2年間だけなの、レギュラー。金曜レギュラーで、懐かしい本当に。
やっぱりあの頃はね、『おはスタ』終わった後に行ってたのよ。『おはスタ』レギュラーあったから、金曜日、朝3時半ぐらいに家を出て、7時半に終わるんだけど。アルタ開く時間が、7時半に出ると早いのよ。
だから、凄い覚えてんのが、神谷町のテレビ東京のスタジオで、『おはスタ』を終えて、ウチの相方は一回帰ってたんだけど、俺も帰るのとかも…しかもウチの相方帰ってたのは、俺、コーナー一個任せてもらってたから。アルタが開いたと同時に入って、台本読み込みしたかったの。全然慣れてないし、テレビに。
だって2005~6年だから、M-1出た翌年ぐらいだから。まだ全然芸能界…だから今の子たちって凄いって思うけどね。
とにかく早く行って、金曜日のコーナーを任せてもらってたから。家帰ってると中途半端になっちゃうから、いつもテレ東の楽屋で寝てたの、少し。で、楽屋が和室とかじゃなくて、テーブルがあって、机があってっていう。下は土足なんだけど。
そこに寝てたの、いつも。本当にごろんとそこで寝て。そしたらある日、物凄い背中がブツブツだらけになって。「なんだろう?」って思って。金曜日にいつもブツブツができるなぁって思ったら、ダニ。凄い数、ダニに刺されてるって皮膚科の人に言われて。
たしかにそうだって、地べただから。それで、その当時の『おはスタ』のスタッフさんにお願いして。「すみません、ダニが出て…」って。テレ東の神谷町ってね、和室もあんの。そこに変えてもらおうって意味も込めて、「すみません、ちょっと休ませてもらってもらってるんですけど、ダニに食われちゃって」って。
そしたら「わかりました」って言われて、翌週に楽屋入ったら新聞紙が置いてあったのよ(笑)ビックリしたわぁ(笑)

