2019年11月13日放送のTBSラジオ系のラジオ番組『伊集院光とらじおと』(毎週月-木 8:30-11:00)にて、小説家・赤川次郎がゲスト出演し、多忙なサラリーマン時代、「小説を書くことをやめない」ために新人賞へ応募するようになったと明かしていた。
伊集院光:そもそも、さっき経歴聞いてビックリしたんですけど、サラリーマン時代があるんですね?
赤川次郎:あ、そうです、そうです。高卒でサラリーマンになったので、で、結局、30歳まで勤めましたから、12年。
伊集院光:12年間?
赤川次郎:はい。
伊集院光:え、それは書きながら仕事してるんですか?
赤川次郎:いえいえ、別に書きながらっていうか、新人賞いただいたのが28のときなので、ですからまぁ、二足のわらじを履いてたのは2年間ということですね。
伊集院光:へぇ。
赤川次郎:30まで。
伊集院光:じゃあ、二足どころか、書きながらもわりと書きながらも、サラリーマンメインの時間がむしろ長いわけですね。
赤川次郎:別に会社辞めるつもりはなかったので。
伊集院光:はい、はい。
赤川次郎:別に、書いたことで食べて行けるとは思ってもいなかったので(笑)
伊集院光:はい。
赤川次郎:小説書くことはとても好きで、中学生ぐらいから書いてたんですけど、これで生活していけるとも思ってなかですから。
伊集院光:はい。
赤川次郎:その気もなかったので。
伊集院光:はい。
赤川次郎:それで、サラリーマンになって。多分、これで一生、定年までいるんだろうなって思ってましたし。
伊集院光:うん。
赤川次郎:ただ、小説書くことは辞めたくなかったんですよね。
伊集院光:でも、それが…「あ、これ俺、小説で食っていけそうだ」ってなるわけですか?
赤川次郎:そうですね、新人賞いただく2年前に、26のときに、テレビのシナリオを一本書いて。それがすんなり映像化されたんですね。
伊集院光:はい。
赤川次郎:で、「あ、結構、人が自分の書いたものを面白がってくれるんだ」って初めて思って、その時に。それから、いくつか新人賞に応募するようになったんですけど、別に作家になりたかったんじゃなくて、もうサラリーマンとして7~8年経ってくると、仕事も忙しくなるわけですよ。
伊集院光:うん。
赤川次郎:結構残業も多いし。
伊集院光:うん。
赤川次郎:で、25で結婚して、子供も生まれましたし、小説書く時間がどんどんなくなってきたんですね。
伊集院光:うん。
赤川次郎:このままだったら、小説そのものを書かなくなるだろうと思ったので、それで応募しようと思って。そしたら締め切りあるし(笑)書かなきゃいけないから。
伊集院光:はい。
赤川次郎:その日まで出さなきゃいけないとかね。
伊集院光:はい。
赤川次郎:だから、書くことをやめないために応募してたんです。そしたら、たまたま『幽霊列車』っていうので新人賞をいただいて。でも、新人賞をいただいただけでは仕事こないんですよ、そんなに。
伊集院光:ましてや、奥さんも子供もいるんですからね。
赤川次郎:だから、とても生活費考えたら、サラリーマン辞められないから。その二年後の30歳の時に、『三毛猫ホームズ』の第一作を出したら、それが出版社の方で意外なくらい売れて、それからいっぱい仕事が来るようになって。「これで大丈夫かな」って思って、30歳の秋に辞めたんですね。