2025年7月31日放送のニッポン放送系のラジオ番組『ナインティナインのオールナイトニッポン』(毎週木 25:00-27:00)にて、お笑いコンビ・ナインティナインの岡村隆史が、吉本興業を退所するために財津一郎がとった作戦に衝撃を受けたと語っていた。
岡村隆史:寛平師匠に出ていただいてて。寛平師匠やら、ジミーさんらと一緒にご飯食べに行って。で、昔の話とか聞くじゃないですか。
矢部浩之:うん。
岡村隆史:我々がその知らない吉本の昔の話とか。ビックリするような話がいっぱい出てくるんですよ。
矢部浩之:うん。言えないことも多いやろな。
岡村隆史:言えないこともちろんあるんですけど。財津一郎さん、「ピアノ売ってちょうだーい」って言う人。あの人って吉本やねんね。
矢部浩之:ああそうやな、元々。
岡村隆史:元々、吉本で。で、当時、藤田まことさんも吉本で。僕なんかそういう吉本のその歴史の本とか読んだんですけど、その当時、松竹と吉本、松竹の方が全然歴史あるんですよ。
矢部浩之:うん。
岡村隆史:あるんですけども、松竹と吉本で看板タレントの引き抜き合いみたいなのが凄かったんですよ。
矢部浩之:うん。
岡村隆史:でも、財津一郎さんは吉本に所属してはったんですけど、やっぱ財津一郎さんって「東京で勝負したい」っていう。「大阪じゃなくて、向こうで勝負したい」みたいなことやったんですけど。
矢部浩之:うん。
岡村隆史:やっぱり言うてもその当時、人気者でしたから。吉本もそう簡単に「そうか、そうか。じゃあ東京行って」みたいに言われへん、東京支社みたいなのもないから。
矢部浩之:うん。
岡村隆史:東京行くってのは、東京のプロダクションに入って、またやるわけじゃないですか、財津一郎さんは。でも、吉本がそれ離せへん。
矢部浩之:うん。
岡村隆史:で、全然辞めさせてくれへん、東京行かしてくれへんってなって、財津一郎さんが考えたのが、「変なことばっかりしてたら吉本をやめさせてくれるんちゃうか」大作戦みたいな。
矢部浩之:ああ。
岡村隆史:ガムをバーって噛むねんて。で、ポンって出すやん。出したらバって拾って、またバーッ噛むねんて。
矢部浩之:うん。
岡村隆史:「何してますの?」ってなるやんか、「美味いねん」って。モムモムモム…で、またちょっとしたらパーンって吐いて、また拾って。
矢部浩之:わざとやってた、と。
岡村隆史:わざとやって。で、だんだんそういう噂が、「財津さんちょっとおかしいで」みたいな話になってくんねん。
矢部浩之:うん。
岡村隆史:なんばグランド花月で、出前を頼みはって。「出番、そろそろですよ」って。にも関わらず、「かまへんねん」って言うて、来た丼、新聞紙にバーってひっくり返して。で、新聞紙結んで「ほないこか」って。
矢部浩之:うん。
岡村隆史:で、新聞紙に包んで、電車の中で食べんねんって。「何してますの?」「腹減ってん」って。電車の中で食べんねんって。で、段々広まっていくやんか、「財津さん、めちゃくちゃですよ」って。
矢部浩之:うん。
岡村隆史:楽屋で「ご飯炊こうかな」言うて。お米入れて、「米だけじゃアレやなぁ」言うて、そこら辺にあったチョコレートとか、アメとか全部ぶち込むねんって。で、一緒に炊くねんって。
矢部浩之:それはもう吉本もおかしいぞ、と。
岡村隆史:炊けたら、もうチョコレートやら紙のままのガムとかアメとかいっぱいあんねんて。それをバーってご飯よそって、「美味いなぁ」って食べんねんって。
矢部浩之:わざとやってるからな。
岡村隆史:で、いよいよ、もう会社も「おかしい」と。「これ、ヤバいな」と思って。2年、そんなこと色々やって。2年後ぐらいに、「もうやめてくれ」と、吉本。
矢部浩之:うわ、すげぇなぁ。
岡村隆史:その時はようわからんで、寛平師匠から聞いた話やけど、もしかしたらなんか変なことしてるんじゃないかって。今で言う、コンプラ違反みたいなことをしてるんじゃないか、と。
矢部浩之:怖なったんや、会社側も。
岡村隆史:そう、そう。「そんなタレントを吉本に置いとかれへん」って思って,、解雇したら、東京でバーってまた売れていったっていう。
矢部浩之:やり続けて。2年って長いで、やり続けたんすげぇなぁ。
岡村隆史:寛平師匠が言うてたもん、「無茶苦茶すんのやから、楽屋から何から何まで」って言わはんねんけど、そういう風にして、当時は吉本から「じゃあ、もうごめんなさい、やめてください」って言われるまでやらんと、やめさせてもらわれへんかったし。
矢部浩之:うん。
岡村隆史:今みたいにこうなんか、こっちから「やめます」「ああ、どうぞどうぞ」みたいなことではなかった世界やから。

