2024年1月29日放送のニッポン放送系のラジオ番組『高田文夫のラジオビバリー昼ズ』(毎週月-金 11:30-13:00)にて、放送作家の高田文夫が、松本人志の活動休止で大慌てになった番組スタッフや放送作家たちに同情していた。
高田文夫:ディレクターとか構成やってる連中とかさ、こういう不祥事がパッと起きて、長期休むとなると、大変なんだよ。
松本明子:ああ。
高田文夫:俺も痛いほど味わってるから。たけしさんが一番良い時、めっちゃくちゃ忙しい時、ポンッと講談社の事件があって。「来週どうする、再来週どうする」って、毎日話し合うわけだよ。
松本明子:ああ。
高田文夫:各放送局のプロデューサー。もう大変でさ。
松本明子:ああ。
高田文夫:決断もなかなかできない。「もう少し待とう、もう2ヶ月待とう」とかさ。あれが大変なんだよ。
松本明子:もう繋がらなきゃいけないっていう。
高田文夫:そう、そう。帰ってくる場所も作っとかなきゃいけないし。色んなことがあってさ。
松本明子:ああ、そうか。
高田文夫:で、その時、俺、たけしさんの番組いっぱいやってたから。たけしさん出ないっていうんで、他の人が作ることになった番組もいっぱいあるわけだよ。そうなると、俺も暇になっちゃうわけだよ。「ヤバイ」って思って。
松本明子:はい。
高田文夫:それからだよ、必至で企画書をどーっと。北海道と仙台と大阪と名古屋へ、ダーッと送ってさ。
松本明子:はい。
高田文夫:「なんだったら、私説明に伺いますから、やらせてください」って。3本とったよ。
松本明子:先生も自分で?
高田文夫:自分でやったんだよ、企画書を送って。札幌、STBか。行ってさ。札幌の番組は「景山を入れますから」って。景山と古舘と泉谷しげるかな。
松本明子:へぇ。
高田文夫:で、名古屋は名古屋で、まだ誰も手をつけてなかった阿藤快を見つけて、司会にして。両脇に大阪から八方ちゃん、東京からヨネスケを呼んで。それも土曜日の夜、生。そっちをコント、俺付き合ってさ。
松本明子:はい。
高田文夫:で、空いた曜日を仙台行って。『マル金ギャハハ倶楽部』って、小遊三と俺が司会でやって。それで仙台行ったのよ。
松本明子:はい。
高田文夫:で、ネタ作るの大変だからって、一般の素人のコントをオーディションして出しましょうって。そしたら、そこへ来たのが、鼻垂らした宮藤官九郎なの。
松本明子:ふふ(笑)