2023年4月10日放送のTBSラジオ系のラジオ番組『伊集院光 深夜の馬鹿力』(毎週月 25:00-27:00)にて、お笑い芸人・伊集院光が、『ドラえもん』が原作の描かれた時期から時間が経ちすぎて「もう限界なんじゃないか」と思う理由について語っていた。
伊集院光:ドラえもん、もう限界なんじゃないかと思うことがあって。一番分かりやすいのは、ドラえもんが描き始められた頃って、この老害おじさんがもうちびっこの時に、やっと描き始められて。
その時は、普通の藤子不二雄漫画なんですよ。普通に、「また新しい藤子不二雄の漫画が出るなぁ」と思って描かれてるわけですよ。だから、その後にドラえもんって…子供にドラえもんみたいなものを見せておくと子供の情操教育にとても良くて。で、夢を持った子供に育つし、みたいなものをいっぱい乗せられてきてるわけ。
凄い乗せられた上に、時間が経ち過ぎてるから、色んなところがもう、実は取り返しつかないぐらい俺、破綻してきてると思うのね。
例えば、一番わかりやすいところで言うと、空き地で野球をやるっていうことは、既に東京に住んで…昭和40年、1970年代ぐらいを東京で過ごした俺ですら、「もう東京にそんな空き地ねぇよ」っていう。
ましてや、その前のオリンピックみたいな時に、すげぇ突貫工事で東京を良くしようとしたから、そこにはでっかい下水管の整備っていうののために、空き地は常時ドカンの置き場になってるの。
だから、必ず空き地に土管、3本土管があって、あの中入ったり上に座ったりとかしてるっていう原風景は、俺ですらもう「そんなところないよ」っていう感じのやつなわけ。
で、だから今回もジャイアンズで、のび太は野球をやってんの。あれなんかも、もうないし。もっと言うと俺の感じ方も、いろんなコンプラが染みちゃってるから。ジャイアンが野球で失敗してのび太くんをボカスカ殴るわけ。
「ボカスカはダメじゃね?」っていう(笑)ジャイアンがこの後何をしても、友達を馬乗り殴打する奴は、「拭えなくない?」って。これも、なんか俺らの頃ですら、俺らの頃は俺が中3ぐらいの時に、いじめや校内暴力が問題になっていって、昔はガキ大将みたいことを言ってたけど、笑って済まされる問題じゃないってことになってくるわけ。
で、もうそれですでに、俺らの中学の時に違和感があるんだけど、もはややっぱりグーだからね(笑)グーでのボカスカは、青アザできるほどのボカスカとかに対して、俺の心がついていかない。俺ですら、「ここまでボカスカしちゃう奴が、友達ではいれないよな」っていうこととか。
あと、のび太は例によって0点のテストをお母さんに見せたら、お母さんがヤバイ、ブチギレるって言って困るわけ。で、そこにはもう、目から火を出しながら鬼と化したお母さんが「のび太ー!」って言ってて、もう震えちゃってるわけ。もう虐待なんだ、だから(笑)
もうそれが、昔はガミガミ怒るママゴンみたいなことで、別に面白いことなんだけど、やっぱりちょっとずつコンプライ染み出してるから。いや、これ凄く大事なことなんだけど、「だからちゃんとしろ」と思ってないの。そこに文句つけようと思ってない。だって漫画だもん。
いい意味で、だって漫画なんだから別に漫画が子供の教育を完全に担うことなんかないですよ。で、今までそこに乗せられてきちゃったせいで、ドラえもんなんていう、あんな漫画の表現の中にそれ暴力が出てきたりとか、「あれは虐待ですよ」っていうことを言う人いるじゃん。じゃなくて、あんなの子供に見せた帰り道に、「でも、ああいうのダメだけどな」って言うだけのことですよ。
「まぁ、あれは漫画だからああしてるけども、のび太はそう思ったっていうだけで、お母さんそこまで怒ってないよ」っていうのをお父さんやお母さんが言えばいいことで、そこを漫画にきちんとやってくれと思ってんじゃないんだけど。やっぱり、「ああ、すげぇ変わってんだな」っていうところから入ってくるのと。