伊集院光、『惡の華』を51歳になって読んで改めて気づいた若い時の漫画との向き合い方の違いを語る「でも、高校生じゃんと思っちゃう」

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2019年9月16日放送のTBSラジオ系のラジオ番組『伊集院光 深夜の馬鹿力』(毎週月 25:00-27:00)にて、お笑い芸人・伊集院光が、漫画『惡の華』を51歳になって読んで、改めて気づいた若い時の漫画との向き合い方の違いを語っていた。

伊集院光:押見修造さんっていう漫画家さんがいて。俺、なんとなくは見たことあったけど、細かく代表作は知らなかったんだけど。この人が水曜日の朝の番組に来ます、と。

で、この人の書いてた『惡の華』って漫画が、映画になるので、そのお知らせを兼ねていらっしゃる、と。で、番組ゲストに迎える時に、僕のあんまり好きじゃないラジオのスタイルって、ゲスト迎えるに当たって、全員がその人の映画をもう見ちゃってるから。知ってる人だけで話が進んでいる状態になることって、あんまりあれが好きじゃないから。

だから、ウチの番組は「片方が映画を見ておくけど、こっち側は無」っていう状態で入るみたいなのが多いの。で、アシスタントが映画見るっていうことになって。俺は無で入っていいんだけど、ちょっと気になったんで、原作の漫画の方を読もうと思って。

『惡の華』っていう漫画を買ったんだ。

でね…これが、なんつったらいいのかな。楽しそうではない。クラスの、内向的か外交的かでいうと、ちょっと内向的だけども、そこまで曲がってはいない男の子が、弾みで好きな女の子の体育着を盗んじゃうの。

その盗んじゃったところを、クラスメートの、もうクラスから完全にハミ出ちゃってる、ちょっと異質な女の子で、この子はもう世をすねて生きてるような。全く異質な空気を放ってる子なんだけど。その子に脅され続けて生きる、みたいな話で、どんよりした話なんだ。

まず、どんよりとした話を、まず求めなくなっている。これは多分、年が結構あると思う。漫画とか映画に、どんよりとした話を全然求めなくなったの。それはもっと、どんよりとしたことが世の中にはいっぱいあるからっていう。

もう追いきれませんっていう。お金を払ってまで、どんよりとしたものを求めていませんっていう。面倒くさいことと、どんよりしたことのみで世の中はできていると言っても過言ではない感じになりますから。

それともう一個は、高校生だったか、中学生だったかと思うんですけど。51歳じゃん。中高生とかが、そういう世の中みたいなことに対して、凄く悩んでる話みたいのに…もっと言うとね、今、ドカベン見るとするじゃん。あんだけ好きだったドカベンですよ。1週間、ワクワクと心配が止まんなかったドカベンですけど。

多分、「でも、こいつ高校生だし」と思っちゃう。元も子もない言い方だけど。土佐丸高校の殺人野球って言われても、高校生でしょ(笑)もっと言うと、「殺人野球の練習してる高校生って?」と思っちゃうの(笑)

…高校生に対する、「でも、高校生じゃん」っていう、51までいろんなことを考えてきちゃった人間が、高校生を一つ軽く見ているんであろうというところ。

もう1個は、お前ら今どんなに曲がってても、無限の可能性あるくせに何言ってんだよっていう感じ。51のおっさんに比べて、もう生え変わらない歯が抜けたりしてんのに、こっちは(笑)虫歯でやっちゃったりとかしてんのに。

今、俺が英会話なんぞ習ったって、もう記憶力も終わっちゃってるしっていう俺たちと、15~6歳の、全然今からできるのと。もう、感情移入なんかできないよ、こっちが悲しすぎてってなっちゃうから。

その中でも、『悪の華』相当面白いの。ずっとハマって一気に読んじゃったから、凄い面白いわけ。でも、どっかそこに壁を感じ続ける、この凄い陰々滅々とした話を1枚1枚めくっていくことに、何かこう苦痛の方を多めに感じて。

昔だったら、「うわぁ、こいつらどんな目に遭っちゃうんだよ」ってガンガン行けたのが、行けなくなっている俺、みたいな。0対100ではないけど、「でも面白いんだよな」っていう力がすげぇ弱まって。「やめちゃおうかな」って力が強まってる感じが。

「あ、なんかちょっと昔とは違うんだなぁ」って凄い思ったの。

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