伊集院光、東京オリンピックの聖火リレーを「タレントで観衆が集まらないように衝立をして実施する」ことに疑問「走らないことの差ってどれぐらい?」

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2021年4月26日放送のTBSラジオ系のラジオ番組『伊集院光 深夜の馬鹿力』(毎週月 25:00-27:00)にて、お笑い芸人・伊集院光が、東京オリンピックの聖火リレーを「タレントで観衆が集まらないように衝立をして実施する」ことに疑問を呈していた。

伊集院光:俺はスターになったことがないから、乞われて聖火リレーに出てくださいなんて言われたことはないですよ。

もちろん、一言の声もかかりませんよ。だから、その頼まれたタレントは大変だろうなと思うし、ロンブーの淳君が辞退した頃なんかは、俺の中では「まぁまぁ、それぞれの問題だよな」と思ってたけど。

さすがに昨今のコース内緒、しかも絶対見られないように周りに衝立をして、完璧に隠した状態で、「絶対見に来んなよ」って言ってタレントが走るってことは、俺だったらもう不安になっちゃう。「これ何なの?」って。訳分かんなくなっちゃう。

本人、もしかしたら訳分かんなくなってるけれども、仕事として契約してるから、もう行かざるを得ないなのか分かんないんだけど。

もうああなってきたら、要は私のこと大好きな人、「今、私は地元で走りますけど、絶対見ないで下さいね」っていうことと、「私は今、地元のことをこの時間、ずっと思ってます」っていうことと、どれぐらいの差がある?

実際問題、あの囲みあんじゃんか。衝立で誰からも見えなくした状態を、走ってることと走ってないことの差ってどれぐらいのもの?

で、しかも「俺、○○ちゃん、チラッとだけ見たぜ」っていう人の自慢に対して、「俺は○○ちゃんが物凄い好きなんだけれども、やっぱりルールだし、○○ちゃんの呼びかけだから、その自分の地元にその子が来ることなんてなかなかないけど。ましてやオリンピックで走ることはないけど、俺は家にいや」っていう人たちは、その「いや、でも行っちゃったよ、チラッと見たよ」って人に自慢されることの感じとか。「なんじゃこりゃ」って思って。

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