松本明子、オードリー若林も驚くバラエティ番組での全力投球っぷりは「放送禁止用語で仕事を干された」からこそか

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タレントの松本明子が、2017年8月26日放送のニッポン放送系のラジオ番組『オードリーのオールナイトニッポン』(毎週土 25:00-27:00)に出演していた。

松本明子と言えば、1984年に『オールナイトフジ』1周年記念および『笑福亭鶴光のオールナイトニッポン』10周年記念の共同スペシャル番組で放送禁止用語(女性器名称)を叫び、仕事を干される事件を起こしている。その事件が起こったブースに再び入り、オードリーとともにその事件、そしてそれにとどまらない数々のエピソードを語っていた。

松本は、1982年にアイドル歌手を志して上京し、デビューが決まる前に堀越学園に入学。その後、オーディション番組『スター誕生!』をきっかけにデビューすることとなる。アイドルならば「恋愛禁止」であるが、松本は17歳の時に片思いしていた共演相手を尾行し、「ストーカー」行為とも思われる方法で自宅を突き止めている。

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松本明子:沼袋。沼袋のアパートを、突き止めたんですよ。

若林正恭:ちょと待って、ちょっと待って(笑)アッコさん、話しながら家に行ったんじゃなくて、尾行したの?(笑)アッコさん、やっぱヤバイんだよ、そういうところが(笑)

春日俊彰:そこが…それまで、その方との絡みっていうのは、どの程度あったんですか?会ったらお話する、とか。

松本明子:番組で、仕事場でお会いする程度ですよね。

若林正恭:でも、アッコさんそれ、収録終わりましたってなったら、その人、スタジオから尾行したんですか?

春日俊彰:スタートは?(笑)開始はどこなんですか?

松本明子:東京タワーの下の、あのスタジオ。

若林正恭:芝公園スタジオ。

松本明子:芝公園スタジオから、ずーっと追いかけてって(笑)

若林正恭:え?沼袋まで?

松本明子:ははは(笑)

だが、その男性は、「新宿二丁目」で勤務しており、別の男性が自宅から出てきたのだという。そのため、松本はあきらめると思いきや、その男性はバイセクシャルであったため、交際を始める。

片岡鶴太郎と笑福亭鶴光は、その事実を知っており、『オールナイトフジ』1周年記念および『笑福亭鶴光のオールナイトニッポン』10周年記念の共同スペシャル番組の中で、「そのことをバラされたくなかったら(女性器名称を)言え」とからかった。2人は、まさか言うとは思わなかったのだが、松本は大声で叫んでしまい、結果、「干される」こととなった。

仕事もなく、学校とホリプロの寮を往復する毎日の中、「自室から風呂場まで全裸で歩いていた」のだという。さらには、「一緒に入浴したくない」との理由で、他の女性たちから風呂場を「出禁」になってしまう。そのため、松本は男子風呂に入っていたのだという。

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松本明子:アイドル崩れの、アイドルしくじった奴の入った湯船に、同じお湯には入れないって、当時の現役アイドル、売れっ子アイドルに言われて。

春日俊彰:はっはっはっ(笑)無茶苦茶な扱いされて(笑)

若林正恭:もう、可哀想過ぎるわ、その話(笑)

春日俊彰:はっはっはっ(笑)

若林正恭:アッコさんが入ったお風呂には、入りたくないって?

松本明子:そう、鍵かけられてて、女湯に。

若林正恭:それ、寂しすぎるよ、その話(笑)

春日俊彰:女湯、入れなくなっちゃって(笑)

松本明子:入れなくしちゃって。

若林正恭:辛かったですよね?

松本明子:辛かったですよ。女湯、出禁になっちゃって。

そんな中、いつものように全裸で廊下を歩いていたところ、その日に入寮することとなっていた中山秀征と初めて出会う。中山と意気投合した松本は、ある日、中山から転機となる一言を言われる。

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松本明子:お笑い班、バラエティ班ができたばっかりの時で。私は歌手班にいたんですけど、その当時、歌手班とか…事務所の中で、ドラマ班とかに分かれてたんですよ。今はないですけど、その当時は分かれてて。

若林正恭:へぇ。

松本明子:「姉さん、そんなくすぶってないで、もうお笑い班、いっそ来たらどうですか?」と。

若林正恭:ああ。

松本明子:って声をかけてくれたのが、中山さんで。

若林正恭:で、お笑い班に行ったんですね?

松本明子:お笑い班に行って。

若林正恭:その時、気持ち的には「アイドル、もうちょっとやりたいんだけどな」みたいなのはあったんですか?

松本明子:もう、半ば吹っ切れてましたね。

松本はかつて寮で暮らしていた人々の置いていったグッズを大学近くで売りさばき、糊口をしのいでいた。具体例とし、松本は「男性アイドルのブーメランパンツ」などを売っていたと明かしていた。次々とほかのタレントたちが寮を出ていく中で、松本は国立の寮が取り壊されるまで居続けたのだという。

一方で、一度干されていたという経験が原動力となり、バラエティ班に移った松本は、「来るもの拒まず」の姿勢で仕事を行い、次第にバラエティタレントとして売れていく。

一躍有名となったのは、日本テレビ系の番組『進め!電波少年』だった。「アラファト議長とてんとう虫のサンバをダジャレたい!」企画や、1994年の『第45回NHK紅白歌合戦』にゲリラ出演するという無謀とも思える企画を体当たりで行っていった。その当時の心境について、松本は以下のように語っている。

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若林正恭:怖くて、「でも行くしかないですよね」「行け」と。ディレクターの人の圧で行くんじゃなくて、もう目がイってて、試合前の総合格闘家みたいだったよ(笑)

松本明子:はっはっはっ(笑)躊躇しない。

春日俊彰:ブルッてる感じはない。松村さんだったら、スタッフさんに「本当に行くんですか?」「松村、行けよ!」とか言われて。

松本明子:〆谷(浩斗)さんですよ。

若林正恭:〆谷さんですよ、それこそ。

春日俊彰:スタッフさんが怖いから、仕方なしに行く、みたいな感じのイメージでしたけど。アッコさんは、結構ダンッと行くじゃないですか。

松本明子:行ってましたね、たしかに。

若林正恭:怖くないでしょ?正直。

松本明子:なんですかね…でも、一回、干されてるからっていうね。

若林正恭:はっはっはっ(笑)

松本明子:ここがね。

春日俊彰:そこでしょうね。

松本明子:そこかもしれないですね。そこのモチベーションっていうのは。あの時の辛さというか、苦しさというか。

若林正恭:はい、はい。

松本明子:そこに戻らないための、自分のね。

一度干されたからこそ、松本は「あの時の辛さというか、苦しさというか」を思い出し、仕事に全力投球を続けているようだ。

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