東野幸治、志村けんがドリフターズの正式メンバーになる前にお笑いコンビを組むも「完璧主義者の志村さんについていけず」相方・井山淳が失踪した過去を語る

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2020年8月9日配信開始となったYouTube動画『東野幸治の幻ラジオ』第57回にて、お笑い芸人・東野幸治が、志村けんがドリフターズの正式メンバーになる前にお笑いコンビを組むも「完璧主義者の志村さんについていけず」相方・井山淳が失踪した過去を語っていた。

東野幸治:僕がこの世界入った頃、30年ぐらい前なんですけど。萩原さんっていう関西の作家さんいてて。で、それは元々、芸人さんやってて。漫才ブームの頃の前に芸人やってて、辞めて、漫才ブーム来たんですよ。

その方いわく、B&Bの洋七さんは最初、萩原さんとコンビ組んでて。萩原さんいわく、B&Bのあの笑いのパッケージみたいなんは、萩原さんが全部作って。で、ご自身辞めて作家、裏方いくんですけど。それを伝承して洋七さんが洋八さんと組んでB&Bになるっていう話を聞いたんですけど。

その方いわく、まだ芸人やってる頃に、志村けんさんもドリフターズ入る前にコンビ組んでたんです。マックボンボンっていう(注釈:1968年にドリフターズの付き人になっており、マックボンボン結成当時である1972年には、すでにドリフターズでボーヤを行っていた)。

で、「営業先で一緒になってね」っていう話を聞いたことある。その頃はだから、「マックボンボンって、軍服を着た軍隊コントやってて。セリフ一切なく動きだけで笑かす、なかなか凄いコントやってたよ」って聞いたことあります。

ただ、やっぱり志村さんが完璧主義者やから、相方の人(井山淳)、お名前ちょっと分からないですけど、ダメ出しも稽古も厳しくて、営業終わり熱海かどっかやったんかな。夕方の海岸、一人座ってぼーっとして。萩原さんが心配になって、「所詮お笑いやからそんな深く考え方がいいよ」って言ってん、と。

「言ったけども、後にもうすぐ飛んでもうたわ」って。つまり、雲隠れした、辞めていったという話ですけど。それで辞めてドリフターズのボーヤになって、付き人やって。そこから荒井注さんが辞めて入るわけですけど。

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