伊集院光、ニッポン放送時代に生み出した架空アイドル「芳賀ゆい」が自分の手を離れて大人気となっていく中で自分は「追い詰められて」いったと告白

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2020年3月23日放送のTBSラジオ系のラジオ番組『伊集院光 深夜の馬鹿力』(毎週月 25:00-27:00)にて、お笑い芸人・伊集院光が、ニッポン放送時代に生み出した架空アイドル「芳賀ゆい」が自分の手を離れて大人気となっていく中で自分は「追い詰められて」いったと告白していた。


星空のパスポート

伊集院光:90年代くらい、僕はその当時、オールナイトニッポンという番組でデビューしたんですよ。二十歳の終わり、10月だからまだ二十歳で多分デビューして、恐らく21から僕はオールナイトニッポンをやってるんですけども。

そこでずっと知名度がないから、オールナイトニッポン何か仕掛けなきゃ終わっちゃうんです。誰も知らない、ほぼほぼ個人事務所のお兄ちゃんだから、終わっちゃうわけですよ。

その時は僕は、落語家をやりながら、落語家ってことは隠して、オペラ漫談っていう謎の替え唄と一人芝居のお兄さんなんです。で、その中で、たまたまフリートークの中で、アイドル好きだったから…映画監督の大島渚さんって、大島渚さんっていう、平気で人の見ている前で、親友の野坂昭如さんをマイクでぶん殴っちゃったりとかする、すぐエキサイトしちゃう世界的映画監督だったんですけど。いつも、『朝まで生テレビ』で怒鳴り散らしてるおじさんだったんですけど。

「『大島渚』って、名前だけ聞くとアイドルっぽくね?」っていうフリートークをしたの。その日のラジオで喋って。で、他にもそこの展開で、「『歯がゆい』って言葉あるじゃん。ちょっと歯がゆい気持ちだとか、歯がゆい思いをしたって、これ、『芳賀ゆい』って、アイドルの名前だったらすげぇ可愛くね?」っていう話をしたの。

その当時って、メインの生活が実は落語家なのにさ、落語家なことを喋れないから、フリートーク大変なのよ(笑)で、急に思いついたそのことを喋ってたら、それが跳ねて。その「芳賀ゆい」って女の子、どんな子だろうねって言ったら、そこから当時はメールとかがないから、次の週にハガキとかでイラスト描いてきてくれる子がいたりとか。

あと、「俺はポニーテールが好きだから、ポニーテールははずせねぇぜ」みたいなことを、みんなディティールを細かくやってっていって。「こういう歌を歌ってそうだな」とか、もう凄い端っこの方に、「猫を飼ってそうだね、猫の名前はこういう名前で…」みたいなやつを、バンバンその細かいプロフィール付けてって。

それがまぁ、企画として跳ねて。こっち側からすると、自分の企画が盛り上がってるのは凄い面白いわけ。で、そしたらレコード会社の人が、「歌出した方が面白くない?」とか。それから、声優の事務所の人が「芳賀ゆいの声の人を設定して、架空のアイドルとしてデビューさせたら面白くないか?」とか。

あと出版社がシャレで、「芳賀ゆいの実態がないのに写真集出したら面白くない?」みたいなことで、みんなが凄い盛り上げてくれるわけ。で、結局、CDも出たし、CDも結構なメンバーが。A面の作詞、奥田民生だから(笑)

で、それこそ凄いメンバーでCD出て。俺はカップリングの作詞を噛ませてもらったりとかしながら。ニッポン放送が大々的に盛り上げてくれるわけ。

で、ある程度行ったところ…そこまでは俺も天狗ですよ。今、ニッポン放送の中でも、一番でムーブメントを作った男ですから、僕はぐらいの感じなんだけど。

ある程度のところから、制御が効かなくなってくの。ニッポン放送の事業部の人が、もうちょとあんまり入ってないイベントがあるから、「そこに芳賀ゆいが見に来てるっていうことでよろしく」って。

でも、俺からしてみたら、「いやいや、ちょっと待ってくれ」と。僕の中では芳賀ゆいっていうのはそのイベントには行かない…あんまり、箱根彫刻の森美術館に行くタイプの子ではないっていう、俺の中では。

だけど、「ちょっと頼むよ」っていう。「もう、本当に動員が大変なんだよ」って言われて。でも、その人も一緒になって盛り上げてくれてる人だから、「じゃあそういうことで、ちょっとなんかそこに行くのに違和感のない設定も考えなきゃ」とかなってくの。

そうすると今度、またそんなことがどんどん続いていくわけ。ここにも芳賀ゆい、ゲストで。もう、もはや俺の知らないところに芳賀ゆいが行くようになってくわけ。「え?俺の妄想なのに」っていう。

でも、その時にもう俺はどうしようもできない。「ここまでになったのは、みんなの協力があったからじゃん。お前だけのもののわけないじゃん」ってなってくるの。で、「局を挙げてそのCDをガンガンかけたりとかしていることで、他の番組にだって迷惑かけてるんだから、その他の番組にも芳賀ゆいは行くよ」みたいになってくるわけ。

で、決定的だったのは、雑誌の取材を凄い受けるようになって。その雑誌とか、ワイドショーの取材とかも受けるようになって、その時、伊集院光なんか誰も知らないんだけど、オールナイトニッポンで面白いことをやってる奴が出だした頃で、天狗とは言わないけど、やっと手応えを感じ始めたところなわけ。

でも、雑誌が出てくると、「とあるラジオパーソナリティーのひょんな一言から生まれたスーパーアイドル葉賀ゆいちゃんは…」って書き方なの。で、どこでもそうなの。「とある深夜番組のパーソナリティーが発案し、今やニッポン放送一のスーパーアイドル、芳賀ゆいちゃんは…」ってなってくの。

「え?俺、もういなくない?」っていう。もう俺は、とあるパーソナリティで、俺の妄想の生み出した方だけがどんどん商品価値が上がっていって、その時、俺は事務所にも入ってないから、芳賀ゆいが誰のものなのかも分からない。

だけど、どんどん、どんどんプロジェクトが大きくなってって、俺はちょっと追い詰められ始めて。途中からもう、ニッポン放送の偉い人と、「俺が生放送で、『さっき死んだ』って言ったら終わりだかんな」って。もう、軽くヤバイでしょ(笑)

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