2024年2月23日放送のABCラジオの番組『東野幸治のホンモノラジオ』(毎週金25:00-26:00)にて、お笑い芸人・東野幸治が、ダウンタウンと吉本興業・大崎洋元会長との出会いとプロデュースを開始するまでの経緯を語っていた。
東野幸治:ついこの間、130Rのお二人の還暦の食事会に行ってきました。とにかく話題は、いらっしゃったリットン・水野さん64歳のチンチンがちゃんと機能してるかどうかに終始しました(笑)
機能してるそうでございます(笑)全員で、「良かった、良かった」っていう食事会でした(笑)
東野幸治:…2日前、その還暦の食事会があって。それはだから去年ホンマはやるはずが、もろもろそれぞれの事情とか、吉本のゴタゴタとか、なんか色々あって。結局、延びに延びて61歳の年に還暦の食事会。
というのも、その前はリットンさんやったりとか、木村祐一やったりとか、こうしてて順番に。で、メンバーは今田さん、僕、ほんで130Rの二人、リットンさん。で、木村祐一。なぜか今回から新規メンバー月亭方正という。
厳密に言うと、月亭方正は我々の仲間じゃないんです(笑)
渡辺鐘:ん?(笑)
東野幸治:それ、だから細かい話なんですけど、2丁目劇場っていうのがダウンタウンさんを中心に立ち上がった時に、アンチ吉本、アンチ花月って、大崎洋さん、今、吉本辞められましたけれども。
言うたら、お笑いテレビタレント、漫才ブームが終わった後、お笑い芸人がそもそも寄席で芸人は漫才、落語、寄席で活躍して。
渡辺鐘:はい。
東野幸治:寄席だけの世界からラジオで、芸人がみんなラジオの方にワーッて行くラジオがちょっとある程度、飽和状態になったら次、テレビっていう文化ができたら、芸人はラジオからまたテレビに行くっていう中の、お笑い芸人がテレビタレントとしてキラキラする、漫才ブームに続けみたいな時のキャッチコピー。
渡辺鐘:はい。
東野幸治:心斎橋筋2丁目劇場っていうのを、ザ・ぼんちさんのマネージャー、漫才ブームの頃してて。そのマネージャー大崎さんが、ある日吉本から言われて、「大阪戻れ」って。
渡辺鐘:はい。
東野幸治:こんなに東京で楽しく、ザ・ぼんちと3人でソープランドに行って、「最高やん、芸能界」と思ってたのに、ある日突然、上司の命令で「大阪に戻れ」って言われて、いやいや行く。
渡辺鐘:はい。
東野幸治:何するかって言ったら、昨日までは東京のテレビ局、フジテレビ、日本テレビ、TBS、テレビ朝日などをね、吉本の芸人連れて番組やってたんが、次の日から昨日、今日高校卒業したヤンキーの奴らを集めた、NSCっていう学校の初代校長というか、世話係というか。
渡辺鐘:はい。
東野幸治:そういうのに付いてっていうところで。で、そこで松本・浜田、ダウンタウンさんを見つけて。
渡辺鐘:はい。
東野幸治:そこから「こいつら才能あるな」というところで、こいつらが楽しく好きなこと、才能を爆発させる劇場が必要だっていうことで、アンチ吉本アンチ花月っていうところで。
渡辺鐘:はい。
東野幸治:漫才ブームが終わったから、もう漫才はもう終わった、漫才の時代じゃないから、漫才してはいけない。楽しいコントとかそんなんしようってことで、南海ホールっていう、空いてる。当時の吉本興業の本社が、その南海ホールの上にあったんです。
渡辺鐘:はい。
東野幸治:で、2階に劇場があって南海ホール。言うたら引っかけ橋。恵比寿橋筋のところにあって。で、それを改装するからっていうところで、ダウンタウンを中心にやるっていうところに、僕ら集められたんですよ。
渡辺鐘:はい。
東野幸治:で、その集められたんが、言うたらNSC3期生のホンコン・マカオ。ホンコン・マカオと板尾さんと今田さんなんですよ。ほんで、それがダウンタウンさん中心のそういうお芝居、2丁目物語みたいなそういうお芝居とかコントとかやる時に始まって。
渡辺鐘:はい。
東野幸治:で、僕も高校からなんか行ったりとか、色んなところから人が集まってくる中、ホンコン・マカオ解散して、ほんこんさんと板尾さんコンビ組んで130Rとかなっていく中で、一緒にやってたんですよ。で、それの仲間が最近会うこともないしって。
渡辺鐘:はい。
東野幸治:もうリットンさんなんて本当会うこともないからってことで、みんなで会おうっていうことで、そもそも還暦食事会があって。で、それを嗅ぎつけた月亭方正は、TEAM 0っていうコンビ、僕らの後輩で。2丁目探検隊っていうイベントがあって、そこでみんな月1回ネタ考えてねやるんです。漫才以外のコントやる。