伊集院光は高校時代、望んでいたレベルの高校への進学が叶わなかったということもあり、次第に学校へ通わなくなっていった。3年生の時にはほぼ学校には通わず、寄席を見に行くといったことをきっかけに落語家を志すようになった。
そんな伊集院は、たびたびTBSラジオ系のラジオ番組『伊集院光 深夜の馬鹿力』で、不登校時代の話をしている。その時の心情を伊集院は以下のように語っている。
伊集院光:結局のところ、中2、中3の頃と厄介な感じが変わってないなって思ってね。たとえば僕は、中学・高校と急に学校行かなくなったりしてますんで。そうすると、漠然と自分にイラついてるだけなんですよ。
漠然と自分にイラついてるだけだから、周りは対応のしようがないんですよ。親が「学校に行きなさい」って言っても、「行かなくても良い」って言ってもムカつくじゃないですか。だから結局、出口がないんですよ。
周りの人間からしてみれば、対処の方法なんか何もないわけ。ただただ、ムカついてますから。そういう時って、自分にはクソ甘いですけど、他の人には厳しいですから。
不登校となり、そんな自分に嫌気が差しつつ悶々と過ごす日々。その苛立ちのはけ口として、伊集院はつい家族にあたってしまうのだという。一方で、家族にも当たれず、「学校に行きなさい」と厳しく言われるようであれば、その子供はますます居場所を失ってしまうだろう。
そのような不登校児の心情を人一倍理解している、「元・不登校児」の伊集院は、どう親が接するべきなのか、一つの解決策を示していた。
伊集院光、子供が不登校であることに悩む両親に「元・不登校児」の立場からアドバイス「親御さんにできることは…」
伊集院光:「大丈夫」とかっていうのを、軽はずみには言いづらいんです。言いづらいんだけど、「多分、こういう方がいる」と思うのは、みんな「学校なんか行かなくても大丈夫だよ。休んでもいいよ」って、みんないっぱいアプローチしてくれてる。アプローチして、頑張ってストレス減らそうと思ってるけど、当の本人は、それを聞く余裕が意外にないんです。
上田まりえ:うん。
伊集院光:僕が今日、学校に行かなかった先に、何が待ってるのかっていうのを、悪い方に全部想像して、「ああ、こんな悪いことになるんなら…」ってなっちゃうから。
上田まりえ:はい。
伊集院光:僕の一案として、親御さんにできることは、学校休んだ時に、「全部俺のせいにしていいよ」っていう。「ウチのオヤジ、バカだから『学校休んでいい』って言ってんだよ」って、「言っていいよ」って言ってあげるっていうアプローチはどうかっていう。
龍崎孝:ええ。
伊集院光:自分の責任で、「俺は学校に行けない」ってなっちゃうのを、行かないことで認めるっていう…俺、言ってること分かる?
上田まりえ:わかります。
伊集院光:それに耐えられない。「イジメを告白してもいいよ」って言われても、「俺はイジメられている」って告白することで、自分が認めちゃうことに、凄い怯えるっていうことが…
龍崎孝:ああ。
伊集院光:僕ね、登校拒否については、凄いあったから…僕も学校休んでいいと思うんですけど、休んだことで自分を責めちゃうこともあるので、親からのアプローチとして、万が一そういうことがある時に、「ウチの母ちゃん、変わってるからさ。俺、そんなに思ってないのに、一回、休め、休めってテレビ・ラジオに影響されて言うんだよ。だから俺、旅行行ってやったよ」って感じのアプローチが一案かなって思うんだけど。
これは言わば、学校に居場所がないのならば、その居場所を家庭で作ってみてはどうだろうかという提案だろう。事情をむやみに詮索したりして、むやみに傷つけるのではなく、「学校休んでいい」というメッセージだけを伝えてみてはどうか、と提案しているのだ。
一方、アシスタントのフリーアナウンサー・上田まりえも、中学2年の時に同級生と合わず、不登校を経験しているという。そんな彼女もまた、両親が無理に学校に行かせるようなことをしなかったのだという。
伊集院光、子供が不登校であることに悩む両親に「元・不登校児」の立場からアドバイス「親御さんにできることは…」
伊集院光:上田まりえはどうかね?でも、ちょっと不登校経験あるんだよね?
上田まりえ:そうです。私も中学校2年生の時に不登校だった時期があって。
伊集院光:うん、うん。
上田まりえ:理由はあったんですよ。学校内の同級生と上手くいかなかったっていうのがあったんですけど。
伊集院光:うん。
上田まりえ:「行けない自分は、凄いダメな子なんだ」って。
伊集院光:凄い思うよね。
上田まりえ:罪悪感。あと、親に対する申し訳なさ、あと恥ずかしさとか、そういうのが色々あって。私の場合は、母親に「行かなくてもいいよ」って言ってもらえたことが、かえって行くきっかけになったんですけどね。
伊集院光:おお。
上田まりえ:「親に怒られるんじゃないか」とか思ってたんですけど、「そうやって言ってもらえたんだ」ってことが、一個、自信になって、逆に行けるようになったんですけどね。
自らを責め、卑下し、自己肯定感など持てるはずもない状態。そんな中で叱るでもなく、むやみに詮索するでもなく、ただ「(学校へ)行かなくてもいいよ」と言うことで、やはり彼女もまた救われたのだという。
学校だけが居場所ではない。そこでイジメなどを受け、友人がおらずに孤独を感じるのだったら、別の場所に居場所を求めればいいだけだ。そのため、伊集院はさらに、以下のように語っている。
伊集院光、不登校で悩み続けることから脱するために学校に行かず外出する「攻めの登校拒否」を提唱
伊集院光:僕が提唱するのは、「攻めの登校拒否」っていう。
上田まりえ:攻め?(笑)
伊集院光:家にいるより…僕の場合は、ぶらぶら落語観に行ったりしてたことが、結局、あとには繋がったので。
上田まりえ:ああ。
伊集院光:昔の感覚で言うと、「学校ズル休みしたのに、表を出歩く」っていうのが、とても自分の中でダメなことって思うような気がするし。
上田まりえ:はい。
伊集院光:「お前、学校休んだのに、野球チームは行くの?」とか。全然OKだと思うんだよね。むしろ行くっていう。むしろ、柔軟して行くっていうくらいの。
上田まりえ:はい。
伊集院光:「スポーツジム行くの?」「スイミングスクールは行けるんだ?」みたいなことに関して、全然問題がないっていうか。
「不登校=引きこもり」ではない。自宅で悶々として過ごす必要などなく、活動の場を広げ、学校以外の人間関係を築いていくことによって、心の傷を癒していくきっかけになる可能性もあるだろう。
学校という場に居場所がなくなってしまったのならば、どこが居場所となるのか。まずは家であろうが、不登校児がより多くの場所に居場所を見つけられることを切に願う。