女優・白石加代子がNHK朝の連続テレビ小説『ひよっこ』に出演しており、同作品のことを高く評価する爆笑問題・太田光は、「爆笑問題結成前」である白石との接点について語っていた。
白石は、早稲田小劇場(現在のSCOT)に入団し、舞台に立っていた。その演劇を観ていた日本大学芸術学部演劇学科の大学生であった太田は、変顔をし続けたのだという。
田中裕二:太田さんが客で観に行って、一番前の席で、変な顔をし続けたんですよね。一番前で「ベロベロベー」みたいな顔をし続けてたって話をしていて、そういこともあって。
太田光:ええ。
田中裕二:25年経って、太田さんが「もし白石加代子さんに会ったら謝っておいてくれ」って言ってたから、この間、謝ったんですよ。でも、結論から言うと、白石さんは覚えてなかったんです。
太田光:ああ、そう。
田中裕二:でも、「そのことはウチの劇団で語り草になってるのよ」って仰ってたんですよ。「私は芝居に夢中で気づいてなかったけど、その時に演出家の方々や色んな人たちが、「アイツをつまみ出すか?」ってことを話し合って大揉めになってた」って言ってたんですよ。
太田光:えっ?演出家にバレてたの?
田中裕二:演出家もバレているし、他の役者にもバレてるよ!それで、「アイツ…変なヤツがいるけどどうしようか」って話し合ったそうなんだよ。でも、一番前にいるし、芝居の途中で引きずり出すのも問題だし…ということで、とりあえずは他のお客さんに迷惑は掛けてないからってことでつまみ出されはしなかったみたいね。
太田光:はっはっはっ(笑)
田中裕二:だから、白石さんは太田だとは分からなかったみたいだけど、その出来事は語り草になってたみたいね。
白石自身は演技に没頭していたため、太田の変顔などには気づいていなかったという。NHKの番組『爆笑問題のニッポンの教養』で、爆笑問題が演出家・野田秀樹と対談したのを見て、そこで初めてその「変な客」が太田であると知ったそうだ。
太田は当時を振り返り、「若気の至り」であり反省していた。
太田光:ホント、あんなことやっちゃいけないよね。でも、当時は日常茶飯事だったから。野次らなかっただけ良いというか。
田中裕二:「引っ込め!」とかね。
太田光:舞台が途中で止まって、舞台の役者と客席で大喧嘩になったことすらあるからね。
田中裕二:まぁ、どっちにせよダメですよ。
太田光:そうですね。演出家の方々にも、本当に申し訳ないことをしたなって思ってますよ。
田中裕二:「アイツどうする?つまみ出すか?」って話になってたっていうから。
太田光:出て行く時に、「ちょっと君…」って言われてお説教ですよね。他にもあったんですよ、出るときに囲まれたこともあって。入り口で入れなかったこともあったからね。「アイツが来た」って言って。「何しに来たの?」って言われたからね。
田中裕二:はっはっはっ(笑)
太田光:「観に来たんだよ、バカヤロウ!」って言ったら、「ダメダメ」って言われて。そういうこともありましたからね…白石さんの件では、本当に申し訳ないね。どうやってお詫びすれば…そんなこととは露知らず。語り草ですか。
田中裕二:25年前ですよ。爪痕を残しましたね。どうやら、NHKが編集段階で、VTRのこともあるから連絡とってたみたいで、そこから知ったみたいね。それでNHKのスタッフには「野田さんがフォロー入れてますんで、大丈夫です」って再三言われたって言ってたよ。
太田光:本当にダメなヤツだよね。若さって恐いね。とんでもない。
なお、太田は大学でも「授業妨害」をして真面目な学生たちから煙たがられる、というようなこともあったという。
爆笑問題・太田光:『私は太田が嫌いです』と一人一人に言われた」
太田光:一人ね、演出のバカがいたんですよ。バカ女。
田中裕二:女?あぁ!はいはい。
太田光:ソイツが特に、糞バカ女で。最終的には、そいつは嫌われてました。1年くらいで。
田中裕二:なんとなく、その女覚えてるわ。
太田光:マジメに授業を受けようとしてたバカ女だよ。
田中裕二:それは良いけども(笑)
太田光:「授業妨害しないでください」って言うんだよ。ふざけんなブスって。
田中裕二:太田さんが一番嫌いなタイプですよね(笑)
大学で演劇を学んでいた太田だったが、彼はそこから相方・田中裕二とともに爆笑問題を結成する。演劇からお笑い芸人への転身については、過去に以下のように語っていた。
爆笑問題・太田が語る、役者ではなくお笑いの道へ進んだワケ「お笑いは気持ちいい」
太田光:日芸にいたときに、演劇がとにかくその評価が、言ってみれば「どうとでもなる」んですよ。
田中裕二:そうだね。
太田光:本当にそうだったから。もうウンザリしたんだよ。
田中裕二:うん。
太田光:こんなヌルい、要はウケていようがウケてまいが、似たような芝居をやりやがってさ。
……
太田光:それでお笑いをやり始めて。ラ・ママに行ったら、それは本当に気持ちよかったね。要は、ウケるかウケてないか。審査員がどう言おうが、関係ないんですよね、実は。
田中裕二:うん。
太田光:楽屋に戻ったときの芸人というのは、楽屋に帰ったときに誰が勝ちか、全員分かってますから。
田中裕二:そうだよね。アレは肌で感じることだもんね。「これはウケてる」とか。審査で負けたとしても、「あのウケ方は勝ってる」とかね。
太田光:うん。これは分かっちゃうんですよ。だからお笑いは気持ちいいなぁって思ったね。
評価が曖昧である演劇に比べ、お笑いは観客が笑ったか否かのみで勝敗が決まり、どちらが勝ったかは一目瞭然。「お笑いは気持ちいいなぁ」と実感し、太田は芸人としての一歩を踏み出していったのだという。
やはり演劇の道を最初は志していたこともあってか、爆笑問題は当初、「進路指導室」などのコントを行っており、ネタ見せを行っていた。また、太田はコントの脚本を書き、怪しげな業界人風の男に持ち込みを行ったこともあったという(爆笑問題・太田、大学時代に書いたコントの台本でギャラを稼いだと明かす「ショーパブ芸をやりたくなくてネタ書いた」)。
だが、ネタ見せで以下のようなことを言われ、「漫才」中心にシフトしていったのだという。
爆笑問題・太田、コントから漫才へ移行したきっかけを明かす「ネタ見せでのダメ出し」
田中裕二:うん、そうそう。その時のネタ見せで、俺らコントやって。その時、ボロクソ言われたの覚えてる?
太田光:ボロクソ言われた。
田中裕二:「漫才にした方が良いよ」って言われたの、その時じゃなかったっけ?
太田光:そうかもしれない。進路指導室のコントをやって。
田中裕二:うん。
太田光:「これね、ネタ、文字で読むと面白いんだけどね。実際に見ると、理屈っぽくてね。これね、漫才にした方がいいよ。これをそのまま、漫才にした方が良いよ」って言われて。
田中裕二:そしたら、マネージャーがな、「なるほど」みたいなこと言ってて(笑)「お前は、そこで食い下がれ」みたいな(笑)
太田光:コントはコントで、作ってんだよって。
田中裕二:そう、そう。
太田光:でも、今考えると、「たしかに言えてるな」って。
現在の漫才中心である爆笑問題のスタイルも、「演劇、コント、そして漫才」という変遷があり、さまざまな経緯を経て辿り着いたものであるようだ。