伊集院光、落語家で三遊亭楽太郎(現 円楽)のカバン持ち時代だった頃のエピソードまとめ

スポンサーリンク
スポンサーリンク

伊集院光さんが、かつて落語家で、三遊亭楽太郎(現 円楽)師匠のカバン持ちを務めていた頃のエピソードをまとめてみました。

アイドル時代の柏原芳恵に会うも…

伊集院光:俺が17歳の時には…今、50のおっさんが、17歳の時に、ウチの師匠の円楽のところに弟子入りして。

弟子入りした次の日が、ウチの師匠が花火大会の司会で、それが初めての鞄文字なわけ。で、そこに柏原芳恵さんが当時、ゲストに。アイドルの柏原芳恵さんが、「♪ 紅茶の味する道路のシミを 舐めてみたいと 思ったが…」でなお馴染みの(笑)

「♪口の周りが砂 だら け」…舐めたんじゃねぇかよ(笑)その歌でお馴染みの柏原芳恵さん、絶頂期、ゲストなわけ。俺は、17歳でさ、「師匠のカバン持ちです」って、行くわけ。

で、神宮球場で、神宮外苑花火大会で司会です。で、打ち合わせのところに、柏原芳恵がいるわけ。で、ウチの師匠とか「師匠、お久しぶりです、柏原芳恵です」なんて言ってるのを見て、「本物じゃん、柏原芳恵じゃん、すげぇじゃん」みたいな。

「生で歌聴ける」と思ったら、口パクでさ(笑)口パクで、なんか突風で帽子が転がっちゃってんだけど、それを追っかけて。スタンドマイクをそのままにして、帽子を追っかけてるわけ。

で、追っかけてる間も、『ハロー・グッバイ』を歌ってるわけ(笑)それがスタジアムに流れてるぐらいの口パクだっただったのにはショックだったけどね(笑)「ああ、これが口パクってやつなんだ」って思ったけど。

「柏原芳恵見ちゃったよ」なんて、辞めかけてる高校の友達とかに「今日、柏原芳恵と一緒だったぜ」なんて。

伊集院光、柏原芳恵が歌うも「明らかに口パク」と分かりショックを受けた過去「突風で帽子が転がって…」

幻の初テレビ出演番組

伊集院光:ドーム球場が無かった頃からのタレントだから…東京ドームなんか、タレントになってから出来たから。当時は、雨傘番組って言って、必ず、テレビの番組表には、「中止の場合」っていうのが書かれてて。必ず「中止の場合」っていうのが書かれてて。

必ず、「中止の場合、これやります」っていう番組があって。今だと中止の場合、通常の番組をやるか映画をやるかって感じだけど、昔は、雨傘番組でしか観れない番組っていうのがあったの。それに、若手のタレントの頃、起用されるわけ。

それで、いつ放送されるか分からないけどテレビ出演が決まりましたっていうのがあって。多分、僕のテレビの初めての出演予定の番組は…落語家のカバン持ち時代に、笑点のスタッフが作った、プロ野球選手によく見ればなんとなく似てる人大集合っていう番組を(笑)

その番組の中で、確か、お相撲さんの格好して、「お相撲さん呼んでねぇよ」っていう出落ちのヤツで出て。だけど、その年、野球が一回も中止にならなかったから。そのままお蔵入りになっていくっていう。そういう番組が結構あって。

伊集院光、お蔵入りとなったテレビ初出演番組の思い出「相撲取りの格好で出オチ」

甲子園で輝いていた清原和博と落語家としての自分

伊集院光:清原、残念とも違う…みんなと分けたい。みんなの感想と分けたい。清原自体のことよりも…同い年なんですよ。1967年、昭和42年生まれ。桑田、清原、伊集院光・松村邦洋、ピエール瀧、石野卓球あたりの時代ですよ。

それで、前も話したことあるんですけど、もう色んな方面から話したいんだけどさ。俺の中では、三遊亭円楽、当時・楽太郎のカバン持ちを始めた頃で、家の掃除とかやってるわけ。それで、師匠の家で飼ってた猫の銀ちゃんがお腹を下して、俺の掃除しなきゃいけない部屋中にクソをブリ撒いてるわけ(笑)

その時、清原は甲子園で3年生でスゲェホームランを打ってるわけ。俺は高校を中退して。退学届を出すのは後だけど、辞めるのを決めて、入門してすぐに師匠の家の掃除をやって、最初の3日くらいかな。「俺はもう、落語家の一員になった」って。それで、「あの笑点に出てる楽太郎師匠の部屋を掃除できてる」っていう喜びに満ちてるんだけど。

まぁ多分、一ヶ月経たない内に、少し面倒くさくなってるわけ。すぐに落語とか教えてもらえると思ったら。しかも、今日は銀ちゃんが猛烈にお腹を壊しているって状況なわけ。それで、拭いても拭いても、ウンコを撒いてる時に、カキーンってホームランを打ってるんですよ、清原が。

「いつか清原を抜いてやる」って思ったんです、その時に。「いつか抜きたい」って、本当に思ったんです。「プロ入りしても、鳴かず飛ばずのヤツだっているんだ」ってくらい、意地悪な目で見て。

こっちは、長く掛かるだろうけど。それは1年や2年ではならないだろうけど、もう辛抱して辛抱して、恐らく20年も経ったら、向こうは引退。野球もやらなくなってる頃に、俺は落語の名人になってるはずだ、みたいな。

これ、「今からそこに行ってウンコを拭くのは手伝ってやるから、色々もっとこじんまりとした考えにした方が良いよ」って(笑)落語も続けてないからな、お前は(笑)

その後、ある日またしばらく経ってから、やっと見習いが終わる頃に、みんなが同い年の人が高校3年生の正月くらいかな。また銀ちゃんが凄いウンコを漏らして。「なんだよ、このお腹の弱さは。良い餌食ってるくせに」ってなって。それで、「銀ちゃん、待って!」って言いながら。随分、銀ちゃんとも仲良くなってるから。

プリプリプリって漏らしてるのを、やっと拭き終わったって思ったら、また違うところでプリプリプリって。そしたら今度は、ゲロも吐きだして。猫飼ったことある人はみんな知ってるけど、猫は急に「吐きまーす!ウッ、ウッ…」って言い出すのよ。どの猫でも。

「今、ローゲーを作ってます」っていう(笑)「パッケージ作ってますんで、もうちょっと待っててくださいね。札持って、横のところで待っててくださいね」なんつって、待たされるわけ。

それでこっち側は、吐かれたら畳だから。落語だからイコール畳って、師匠、どうかと思うよ。ゲロ吐いたり、ウンコ漏らしたりすんだから、あのクソ猫は(笑)当時は思ってたよ、今よりリアルにね(笑)でも、言わないです。フローリングだったら拭きやすいのに。

どう考えてもそこダメだろってところで、「私、吐かせていただきます」ってなるわけ。しょうがねぇから、シートみたいなのを顎の下のところに持っていくわけ。そうすると、3・2・1で、横を向いて吐くわけ。「ふざけんなよ」って思って。

そしたら、そこで清原がまたテレビ出てて。たしかあの時は、ドラフトで指名されて、西武に行きます、みたいな話をしてて。それで、またイヤだ、と。ウンコをいつまでも片付けるのはイヤだ、と。

それこそ「高い年俸をもらって、これがピークっていう選手だっていっぱいいるんだからな」って思って。対抗意識を燃やすんだけど、もう1年後に新人で30本ホームランを打った頃には…相変わらず、猫はウンコ漏らしてるんだよ(笑)

猫はウンコもらしてるんだけど、対抗意識すらないよ。高卒1年目でホームランを30本打つってことは、それが最後だったとしても、その後、清原が一切ホームランを打たなかったとしても、そのままで解説者になれるし、伝説になれるはずだ、と。それで、その後ずっと打ち続けるわけ、清原が。バンバン打ち続けるじゃんか。

そこでもう、清原になんか追いつくはずもない。こっちは「これ以上、開かねぇだろ」っていう差があって。猫にフェイントかけられて、ゲロ吐かれてるより下に落ちるからね、落語をやめた辺りから、俺には何もねぇんだから。

清原のゲーム差なんか考えないじゃん。でも、こういうことになるのねっていう。こういうことに。

この経験は、小室哲哉さんがスゲェ売れてる時に、割りとニッポン放送でラジオをやってた時に、よく来てくれたんだよ。それで、長者番付が右肩上がりに上がって行って。本によっては、年収が25億あるとか書いてあって。俺は、その時に初めて貯金ができて、18万円かなんか貯金があって。「まぁ、縮まらねぇだろうな」と思うわけ。その時は、清原と違って目標にはしないんだけどさ。

でも、事業に失敗したりとかして、小室さん、落ち目になっちゃったりするからさ。そしたら、ある時、詐欺事件みたいなのに巻き込まれてさ。今、負債が5億円だ、と。こっち側の貯金は70万円くらい増えてるけど(笑)別に、俺が上がったわけじゃないけど、「一応、貯金だけでは逆転するんだ」みたいなことを思って。

今回の清原に関しては「同い年」ってことがあったから。よく落ち込む時に、「高校1年生で硬式野球部に入った」ってところまでの、お互いに16~7歳で硬式野球部に入ったってところまでは肩書が一緒なのに、みたいな意識があって。

それは冷静に考えたら、一緒でもなんでもないよ(笑)向こうはPL学園の4番として入ってくるから違うんだけど、比べやすい環境だから、軸にしたことがあるから。それで、「こういうことになっちゃうんだ」っていうね。

伊集院光、輝かしい野球人生を送る清原和博を落語家として目標としていたと告白「いつか清原を抜いてやる」

師匠の携わっていた日本香堂が自分の番組のスポンサーに

伊集院光:(『伊集院光とらじおと』内で)その場その場で言わなかったけど、意外に「こんなとこ来るんだ」って思ったんだけど。

日本香堂のコーナーが、ずっと入ってんの。大沢悠里さんの『ゆうゆうワイド』から、伝統的に入ってて。これが、まぁ落ち着いたコーナーなわけ。

それで、たとえば「寒の戻りなんて言葉がございますけど…」と。要するに、「春、順調に暖かくなったなって思ったら、突然、一旦、寒いみたいなことを寒の戻りと言うんですよ」みたいな。

ちょっとした日本語の知識だったり、季節の話が、日本香堂からのお便りとしてあって。最後に、「こういう時には、こういうお香を使った方が良いですよ」みたいな、セールストークも入って。

それをとりあえず聞いたら…前は、大沢悠里さんが読んでたんだけど、俺は照れくさいから。(アシスタントの)安田美香が読んでるのを、僕は「なるほどね。今日みたいなのは、寒の戻りに近いのかもね」みたいな話をして。

「それでは、メールのコーナーです」みたいな。最初、リハーサルとかでやってる時、「こういうことになってるんですよ」みたいな。日本香堂さんスポンサーのコーナーは、「こういうシステム、フォーマットでやりますよ」っていうコーナーで、「なるほど」くらいに思ってたんだけど。

本番で日本香堂さんがお送りするってなった時に、「あ、俺、最初に師匠のカバン持ちで行った仕事のスポンサーが日本香堂だ」って思い出して。その時は、先代の円楽師匠が、毎日香の『定吉!』をやってたから。「お彼岸だよ」みたいなのをやってたから。その流れで、円楽一門は、わりと大きく日本香堂に世話になってて。

それでたまたま、テレビのCM、ウチの師匠の今の円楽がやることになった時に、カバン持ちでいつも行ってたら、日本香堂の人が、「じゃあ、エキストラで出なよ」って言われて。最初に出たCMとかも、日本香堂だったなって思ったら、急にグッときちゃって、本番中に(笑)

ここがスゲェ評価が違うと思うのは、いつも深夜に聴いてる人からしたら、「大人なコーナーをちゃんと聴いてる俺」にもしかして映るのかなって思ってたの、最初。でも、意外に俺、感無量になっちゃってて(笑)

あの時、俺、日本香堂主催の落語会ツアーみたいなのと、CMに出たのが17~8くらいだから。「そうやって考えると、30年以上経って、俺の番組がスポンサードされている」って、今だけは悪いけど遠隔操作のスイッチを切ってくれないと、泣いちゃう。泣いちゃう、それとよがっちゃう(笑)泣いちゃう、よがっちゃう…って思いながらですよ(笑)

伊集院光、『伊集院光とらじおと』に日本香堂がスポンサーについていることに感無量「CM初出演から30年以上経って…」

三遊亭円楽の優しさ

伊集院光:ウチの師匠は、めちゃくちゃ働く人なんですよ。ビックリするくらい働く人で、スケジュール帳も真っ黒なんです。

前の日の10時に仕事終わって、次の日が午後の2時から仕事だっていうと、その間に釣りに行けるって人だから。めちゃくちゃスケジュール真っ黒なんです。

それで、僕その日、39~40℃の熱が出て。自分としては「熱が出てるのにも関わらず行ったら、むしろ褒められるんじゃないか」って思って、チャンスと思って行ったら、5分くらい遅刻してて。「遅刻してるじゃないか」って言われたら、ここだって思って、「実は私、40℃の熱がございまして…這って師匠の家に参りました…」って、ちょっとオーバーに。

そしたら、師匠はスケジュール帳をバって出して。「もし俺が熱を出したら、お前らを養っていけるのか?」って。「待ってるお客さんを、納得させられるのか?」と。

「熱が出ました、と偉そうに言うもんじゃない。お前を今日、帰させて休ませることはしない。ずっと仕事しろ」と。この人、鬼だなって(笑)

笑点に出ているときの腹黒さなんて、もう比じゃないんですよ(笑)腹黒く見せてて、本当は良い人なんじゃないかって思ってたら、本当はもっと腹黒いんですよ。大変なことになってる人だから(笑)

「カバン持ちより、大変な仕事をさせる。○○にある、クリーニングに出した着物を持って来い」と。お付きよりも辛い、おつかいですよ。しかも、今日、わざわざ取りに行かなくてもいいようなものですよ。この人、ヒドイなぁって思ってたら、その店が俺の家から徒歩2分なんだね。

それでいて、「とにかく行って、反省してこい。明日の朝まで、顔を見たくない」って言うんです。要は、帰って良いってことなんだね。(師匠)聞いてる?ちゃんと(笑)いい話しましたからね(笑)

タイトルとURLをコピーしました