2020年4月2日放送のニッポン放送系のラジオ番組『ナインティナイン岡村隆史のオールナイトニッポン』(毎週木 25:00-27:00)にて、お笑いコンビ・ナインティナインの岡村隆史が、志村けんはお笑い芸人として自分にとっての教科書のような存在だったと語っていた。
岡村隆史:皆さんもご存知やと思いますけど、僕がこのお笑い番組、もう30年、この世界入って30年ぐらいになりますけれども、ほとんどの方、気づかれていると思いますけれども、僕はバラエティ番組でやる動きであったりとか、表情であったりとかっていうのは、ほぼほぼもう、志村さんのコピー、まぁいわゆるもうパクリに近いと思います。それでご飯食べさせてもらっているところもありましてですね。
本当に、自分がこうやっぱりドリフを見て…これ、ウソでもなんでもない、よく皆さんね、「ドリフ見て育ってきました」っていう人も、まぁ多々いるんでしょうけど、僕なんかもうどっぷりドリフを見て育ってきて。それがもう、勝手に体の中に染みついてて。
どっかで、自分がこう面白いことをしよう、学校で人気者になろうと思った時に、ドリフを真似する、そういうことでなんとか人気者になってきたということがありますので。
僕なんかはもう、言うてみたら全部というか、なんでしょうね、ホンマにそうなんですよ、パクリなんです。
7志村さん、3加藤茶かな。それぐらいのほぼほぼ…ああ、でも仲本工事さんも入ってるか。器械体操やってましたから。いかりや長介さんだけ僕、入ってないんですけれども。ほぼほぼそういう…なんて言うんですかね、僕自身がそうやってこう「お笑いって何やろ?」「面白いことって何やろう?」ってなった時に、やっぱり最初にこう面白いことってなったのは、やっぱりドリフターズ。年齢的にも。
そこからもちろんひょうきん族になっていったり、とんねるずさんになったりとかいうことは、もちろんあったんですけども。
僕の中にはもう、ずーっと志村けんさんっていうのがいて、まさかこんな一緒にお仕事もさせていただくことになるとは思ってもいませんでしたし、一緒にご飯食べに連れてってもらったり、飲みに連れてってもらったり、お姉ちゃんがいっぱいいるところ、連れてってもらったりとかした時に、凄いなんか夢のような時間を凄させてもらった、っていうふうに思ってます。
もちろん志村さんがいないっていうのも、受け止めていかないといけないんですけれど。まだまだ、色々教えてもらいたいことも、もちろんありましたし。まだまだ、パクらせてもらわないといけないこともたくさんあったと思うんですけど、それがもうできないっていうふうに思うと残念なんですけど。
僕の中ではまだ、本当に実感がないっていうのが本当のところなんですけれども。