久米宏、『ラジオなんですけど』開始当初からあった「ラジオ用の喋り方ができなくなってしまった」という違和感がずっと残り続けていたと告白「こうじゃなかった…」

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2020年6月25日放送のTBSラジオ系のラジオ番組『伊集院光とらじおと』(毎週月-木 8:30-11:00)にて、フリーキャスターの久米宏が、『ラジオなんですけど』開始当初からあった「ラジオ用の喋り方ができなくなってしまった」という違和感がずっと残り続けていたと告白していた。

久米宏:(『久米宏ラジオなんですけど』を降板した理由は)まぁ、老化ですよね。

伊集院光:いやいや(笑)それは言ってましたよね、自分で聴き直した時に、「自分は、黒って言ったつもりが、そうでないことを言っていることがある」と。

久米宏:かなりある。

伊集院光:でも、それは役目が違うからなんとも言えませんけど、僕だってそれは当然あるんですよ。

久米宏:いや、頻繁。

伊集院光:いやいや(笑)あの、俺の方がヒドイ自慢をしてもしょうがないんですけども(笑)

久米宏:うん(笑)

伊集院光:全然、それは許容範囲。だって、もっと言えばね、僕は失礼だと思うのは、久米さんの番組自体って、聴取率高いじゃないですか。

久米宏:らしいんですよ。

伊集院光:高いんですよ(笑)らしいじゃない、高いんですよ(笑)ってことは、聴いてる方の許容範囲にあるわけじゃないですか。

久米宏:そうなんだよねぇ。ただ、僕も歴史を背負って生きていて(笑)

伊集院光:背負いましたか(笑)

久米宏:背負っちゃって(笑)

伊集院光:はい、はい。

久米宏:つらつら考えてみるとですね、僕、土曜ワイドラジオ東京って番組、15年やってんですよ。

伊集院光:はい、はい。

久米宏:その内、最後の7年間っていうのは、土曜日に朝9時5分から、夕方5時まで、毎週8時間ですよ。

伊集院光:はい。

久米宏:生で、スタジオにいて。生やってて、その時、同時にね、85年の7年前ですかえ、78年ぐらいから始まったんですけど、スタジオで僕、メインやるっていうのは。

伊集院光:はい。

久米宏:で、ウィークデーは、『ぴったしカンカン』やって、『料理天国』やって、『ザ・ベストテン』やって。

伊集院光:うん。

久米宏:延々テレビやってて、土曜日はラジオ。

伊集院光:はい、はい。

久米宏:で、その時はテレビとラジオ、違うって自分で考えてましたから、ラジオはラジオの話し方をしよう、テレビはテレビ用だって、土曜日はラジオだってんで、テレビとはかなり違うような話し方をしてたつもりなんですよ。

伊集院光:はい。

久米宏:それは自分の一種の役目だと思ってたから。『ぴったしカンカン』とも違う、『ザ・ベストテン』とも違う、『料理天国』とも違うんだってやり方をやっていて、ラジオはそれなりの、僕が考えるラジオ的な話し方をしていたんですけど。

伊集院光:はい。

久米宏:それが85年に終わって。

伊集院光:はい。

久米宏:今やってる『ラジオなんですけど』って、2006年に始まったんですよ。2006-1985って、いくつ?21年ぐらいで。

伊集院光:はい。

久米宏:20年ぶりにやるっていうんで、相当緊張してたんです。

伊集院光:あの喋りをちゃんとできるのかっていう、ラジオ向けの喋り方ができるのかって。

久米宏:そう。ラジオ的な喋り方を…7年間もやって、その前に全部で15年間もレポーター時代やってて、あの話し方が20年ぶりにラジオに戻ってできるかなぁって思って始めたら…思い出せないんですよ。

伊集院光:ほう。

久米宏:どうやってやってたか。ずっと思い出せないで、手探り状態でやってて、未だによく分からなくて。

伊集院光:復帰後は、「こうじゃない」って実感だけちょっとあるんですか?

久米宏:ずーっとあったの。「こうじゃなかった」って。前の何回も聴いたんです。でも、「こうじゃなかった、こうじゃなかった」っていうのがずっとあって。ここ2~3年ですかね、テレビ用とラジオ用って区別なんてのは考えなくなっていいんだから。

伊集院光:はい。

久米宏:思い出せないんだし。「まぁ、しょうがないから、土曜日はありのままの姿でいこう」ってやってたんですけどね。

伊集院光:はい。

久米宏:でもね、最初に感じた不安っていうのは残ってますね。

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