2021年7月20日放送のTBSラジオ系のラジオ番組『爆笑問題カーボーイ』(毎週火 25:00-27:00)にて、お笑いコンビ・爆笑問題の太田光が、小山田圭吾のいじめ自慢問題で炎上した「時代の価値観」発言の意図を改めて説明していた。
太田光:あそこ(サンジャポ)で語ったのは、小山田圭吾のいじめ行為自体を肯定したわけじゃなくて、インタビューのことを、「ああいうインタビューが成立する場があそこにはあった」っていうことも踏まえないとっていう。
田中裕二:うん。
太田光:価値観、俺が「時代の価値観」って言ってしまったのは、まぁそういうことで。
田中裕二:うん。
太田光:で、それが「サブカルチャー全体をバカにするな」っていう意見もありました。
田中裕二:うん。
太田光:だから、そういう意味で言うと、まぁそうだ、たしかにサブカルチャー全てがそうだったわけじゃない、と。
田中裕二:うん、うん。
太田光:その中の本当に一部に、そういう局面があったんじゃないかなっていうこと。
田中裕二:うん。
太田光:それを、「いやでも俺はあれを読んだけど、あの時から不快だったよ」とか、あるいは「知ってたけど、あれはちょっといただけないと、俺は当時から思ってた」っていう人もいるでしょ。
田中裕二:うん。
太田光:いるけれども、それは許容してたってことだろうなって、俺は思うんです。
田中裕二:うん。
太田光:凄く消極的な許容です。消極的だけど、声を上げなかった。別に声をあげるべきだったっていうことを言ってるんじゃないんですよ。それはだって、一般の人がさ、クイックジャパンっていう雑誌に、「これはけしからん」って、デモ行進なんかするわけないんですよ。
田中裕二:うん。
太田光:普通の人にとっては、見過ごす雑誌でしょ。おそらく毎月読んでても、「これはちょっとヤダな」で。でも、それはやっぱり、その社会が消極的にではあるにせよ、許容してたってことなんじゃないか、そうしないと、いじめの問題は…実は、この消極的な許容が、大きな意味を持つだろうと俺は思ってるんです。
田中裕二:うん。
太田光:よく言われますよね、「いじめというのはいじめた子だけが悪いんじゃないんです、傍観してたクラスメイトも、それは共犯になるんですよ」みたいなこと言うけど、俺はね、それは無理だろうと思ってるわけ。
田中裕二:うん。
太田光:いじめが起きている現場でですよ、それを「やめろよ」って、誰もが言えるわけじゃないと思ってるし。
田中裕二:うん。
太田光:人間ってそういうもんですよね。それは怖いし、次が自分が対象になると思ったら、それは言えない。だけど、まぁ要は…でも、あの時の時代、時代って言っちゃうと、全体になっちゃうかもしれないけど、あの時のあの局面に関しては、それを消極的に受け入れた場があった、ということなんですね。