爆笑問題・太田、なかにし礼が作詞家としてシャンソンから日本の歌謡曲に移行するようになった石原裕次郎との逸話を語る「日本の歌を書けよ。俺が歌うようなさ」

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2021年3月30日放送のTBSラジオ系のラジオ番組『爆笑問題カーボーイ』(毎週火 25:00-27:00)にて、お笑いコンビ・爆笑問題の太田光が、なかにし礼が作詞家としてシャンソンから日本の歌謡曲に移行するようになった石原裕次郎との逸話を語っていた。

太田光:なかにし礼さんと話してて。あの人、最初のきっかけが銀巴里っていうね、シャンソンの美輪明宏さんとかが出てた、戸川昌子さんとか出てた、銀巴里っていうね、言ったらシャンソンクラブみたいな。

田中裕二:うん、うん。

太田光:そこでフランスのシャンソンを日本語に訳して。フランスの哲学科ですから、なかにしさんってね。フランス文学とかを原文で読むんですよ。

田中裕二:うん、うん。

太田光:で、それを日本語に訳す仕事をしてたんだけど、学生時代ね。それをある時、結婚して新婚旅行行ったら、そこのホテルのロビーに、『太平洋ひとりぼっち』の撮りこぼしを撮ってる、石原裕次郎さんが専務かなんかとね、二人でバーで酒飲んでた時に、呼ばれたと。急に呼ばれて、石原さんに。

田中裕二:うん、うん。

太田光:で、「僕ですか?」って感じで行ったら、「ずっと今、俺たちは品定めしてたんだよ、ここにいる新婚旅行にいるカップルを。誰がカッコイイかって。君たち一番カッコイイよ」って。

田中裕二:凄いね。

太田光:オシャレだったじゃん、なかにし礼さんってさ。

田中裕二:うん。

太田光:「君たちに一杯おごるよ」って、そっからの交流なんですよ。

田中裕二:凄いよね、たしかにね。

太田光:なかにし礼と、石原裕次郎。…で、当時なかにし礼さんは歌謡曲に偏見があったんですよね。

田中裕二:うん。

太田光:石原裕次郎さんに「今、何やってんだよ」って言ったら、「シャンソンの訳を今やってます」って言ったら、石原裕次郎さんが「シャンソン?あれかぁ、枯れ葉よ~とかってあれか?」って、凄いバカにして(笑)

田中裕二:はっはっはっ(笑)

太田光:「あんなのやってんのか、お前」って言われて、カチーンときた、と。「あんなのやめちまえ」って言ったわけ。「そんなのより、日本の歌を書けよ」って、これがなかにし礼さんが日本の歌謡曲を書くきっかけですからね。

田中裕二:きっかけになったんだね。

太田光:「そんなのやってないでさ、日本の歌を書けよ。俺が歌うようなさ」って言ったんですよ、裕次郎さんが。

田中裕二:凄いね。

太田光:「それでバーンってヒット飛ばしてみろよ、お前。気持ちいいぜぇ」って言ったんだって、裕次郎さんが。カッコイイじゃない、その話。

田中裕二:ねぇ。

太田光:それがずーっと頭に残ってて、自分もちょっと書いてみようって思って、石原プロに持ってったけど、なかなか採用されなくて。で、黛ジュンさんを…言ってみれば、黛ジュンさんは石原プロのアイドル第一号なんですよ。

田中裕二:ああ、そうなんだね。

太田光:だから、それを裕次郎さんから「お前に預けるから、この子をヒットするまでなんとかしろ」って言ったのが最初なんですよ、なかにし礼さんが手掛けた『天使の誘惑』。

田中裕二:うん。

太田光:何曲目かが『天使の誘惑』で、そこからがなかにし礼伝説の始まりなわけ。

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