山里亮太、オードリー若林の「山里は自分に対して愛がない、家族と思っていない」という批判に反論「ライバル心がなくなったら俺はもう終わっちゃうのよ」

スポンサーリンク
スポンサーリンク

2020年9月9日放送のTBSラジオ系のラジオ番組『山里亮太の不毛な議論』(毎週水 25:00-27:00)にて、お笑いコンビ・南海キャンディーズの山里亮太が、オードリー・若林正恭の「山里は自分に対して愛がない、家族と思っていない」という批判に反論を行っていた。

山里亮太:俺だってさ、(愛は)ありますよ。でも、若ちゃんが言うように、家族的な愛…「若林のこういうの好きだなぁ」っていう思い、俺もそれはあるよ。

でもさ、それは多分、俺が思っちゃいけない。俺だって、センターマイクの前に立てるなら、早く家族だと思いたい。それはもう、泣きながら弔辞でも読めるぐらいのことはしたいよ。でも、できないの。

それはなんでかって言うと、俺はまだこの男に負けたくないのよ。イヤなの。若ちゃんはもう、よく俺の「ここには勝てない」とか、「山里がやってて、ここはもう自分は違うなと思ったから、俺はやらない」とか、

「山ちゃん、そこはもういいじゃん、反省しないで」とか。「ここ、別にどっちの量が多いとかいいじゃん」っていうのはもう、若ちゃんが俺のことをライバルと思ってくれてないのよ。

だから若ちゃんは「家族」って言えんの。俺は、無茶苦茶向こうのことを好きだし、才能なんていうのはべらぼうに認めてるけど、それを「やっぱ若ちゃんにはここ勝てないな」とか。

若ちゃんがたとえば、トーク番組とか他の番組で人間を語って、人間を引き出すみたいな。それこそ、Creepy Nutsのオールナイトニッポンにスペシャルウィークでゲスト行ってて、聞いたけど。

あの時の人の言葉の引き出し方っていうのは、面白いし凄いけど、でも、それに対して俺が「やっぱ、俺の家族はすげぇなってなっちゃっうと、それはもう、俺は終わっちゃうのよ。

『たりないふたり』って、本当にもう「よく感謝してない」って言われるけど、感謝はめちゃくちゃしてんの。とんでもないボケをくれて。ツッコミはボケがいなきゃ何もできないし。

ボケが面白い答えを道作ってくれるから、そこにツッコんでずーっとやるっていうのの繰り返しで、感謝はしてるけども、でもその場は「ありがとう」って思わないよ、だって「めちゃくちゃしやがって」だから、舞台の上で。

尊敬はしてるけど、その尊敬が俺の嫉妬心を超えちゃったら、それはもう「参りました」になっちゃうから。そうすると、俺は『たりないふたり』で、若林ってあんなクレイジーな男に振り回されてついて行くってことに、リスペクトを超えちゃったら、どっかで引き離されちゃうっていう怖さがあるの。

タイトルとURLをコピーしました