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「気抜け連中」「抜け連」とは(爆笑問題カーボーイ)
「気抜け連中」「抜け連」とは、「オタク」という概念がまだ存在していなかった時代、オタク気質な人々を指すために使われていた言葉であるという。
この言葉について語られていたのは、2020年7月7日放送のTBSラジオ系のラジオ番組『爆笑問題カーボーイ』の中でのこと。
爆笑問題・田中裕二が、「オタク」という概念がまだなかった頃、アニメファンを見下しているようなことがあったという話題について相方・太田光とともに語っていた。
1980年代の「オタク」事情
「オタク」的な人々のことを指して言いたいが、そのような言葉がなかったため、田中は以下のような言葉を使っていたと発言している。
田中裕二:俺、はっきり覚えてるんだから。1980年ぐらいは、まだオタクって言葉はない。なぜなら、そういう…
太田光:中森明夫さんが作ったんじゃないかな?
田中裕二:中森明夫さんは分からないけど、中森明夫さんの存在がバッてなるのは80年か。でも、オタクっていうのはまだ言ってないよ。っていうのは、俺らは「オタク」って感じのことを言いたかったけど。
太田光:うん。
田中裕二:まだ言葉がなかったから、「気抜け連中」って言ってたの(笑)
爆笑問題・田中、「オタク」という言葉がまだ存在しなかった頃は「気抜け連中」「抜け連」と呼んでいたと語る
2020年7月7日放送のTBSラジオ系のラジオ番組『爆笑問題カーボーイ』(毎週火 25:00-27:00)にて、お笑いコンビ・爆笑問題の田中裕二が、「オタク」という言葉がまだ存在しなかった頃は「気抜け連中」「抜け連」と呼んでいたと語っていた...
「オタク」文化と中森明夫
中森明夫とは、コラムニスト・編集者であり、「オタク」という言葉の生みの親とされている。なお、1983年に『漫画ブリッコ』の中で「『おたく』の研究」を連載したことにより、一気に「おたく」という言葉(蔑称)が広まったとされる。
よって、田中の「1980年ぐらいは、まだオタクって言葉はない」という発言については、正確には「1983年以前には、まだオタクって言葉はない」ということになる。その当時、一般的とは言い難いが、田中の周辺では「オタク」的な人々を「気抜け連中」、その略称として「抜け連」と呼んでいたことのようである。
なお、ほぼ同年代である太田はその言葉自体を知らないというリアクションであったため、一般的にメディアなどで使用されるワードではなかったようである。
「気抜け」とは
「気抜け」という言葉自体は造語ではなく、「張り詰めていた気持ちがゆるむこと」、あるいは「炭酸飲料の炭酸が抜けてしまうこと」を指す。
「オタク」の対比として不良文化があるが、「気合いが入っている」といったことが良しとされており、逆に「気合いが入っていない=シャバい」などと称される状態は下に見られることとなる。
推測するに、このようなことから「気合いが入っていない連中=気抜け連中」などと称するようになったのではないかと考えられる。